青木さんとのエクストリーム戦を終えました。数週間前の挑戦者の指名には驚いたし、ルールも含めて、謎を仕掛けられてるような感じがしました。


先月の僕のガンプロでのコメントを青木さんがMMAの世界で引用してくれたことがあって、それからというもの自分の中で一気に解像度が高くなる感覚がありました


自分は小さな物語を生きていると思ってたけど、青木さんの生きる大きな物語にもそれが繋がることがあるんだと。小さな物語を生きても、コツコツとそこに自分の矜持を持っていれば見てくれる人がいるんだなと思えたのです。ハッとしたし、嬉しさもあった。


青木さんの言う、ライフイズコンテンツじゃないけども、自分も人生を切り売りして、恥を晒して、ブラックな働き方をして生きてきた、そういうものが巡り巡って青木さんに伝わっていたとは。


試合はノーセコンドルール。僕なりの解釈で猪木さんの自伝からプロレスとセックスに関する文献を引用させてもらった。そのテーマの設定が僕なりの返答というか、解釈だった。VTRにはターザン山本!さんに出演していただいた。山本さんの視座には今でもハッとさせられる。山本さんの主観ではあるが、その視点に僕はプロレスを見る醍醐味を感じている。ザッツレスラーということだ。猪木さんは自意識を満たすために、プロレスをセックスと喩えた。


青木さんが放つ闘魂。エルボーの応酬の末にスリーパーで終幕。


男なら誰もが探究したい猪木イズムのようなものが失われつつある昨今。そんなイズムを問い合うような試合に。(ライオンマークの道場でさえ脱猪木を掲げ猪木会長の写真は外しているそうだ)


青木さんは闘う文学者のようだった。闘い、言葉で吐き、伝え、書いて、生きている。


僕も映像で10年以上、やっぱり『闘魂』を探究していたのではないかと、試合を終えてそう感じていた。こうして青木さんとシングルをして、闘魂の輪郭が見えた気がした。そんな気がしたのです。



そういえば、僕が初めてプロレスを観戦したのは猪木引退試合だった。そのセレモニーで倍賞美津子元夫人が登場して「こんなにいいところに立っていたんですね」とリングからの眺めを噛み締めるように言っていたのが印象的だった。二人は何度も愛を重ねてきたのだろうが、リングから見る眼差しは別格だったのだろうか。含蓄のあるスピーチに12歳のガキンチョだった僕はポカンと見ていたが、今なら少し分かるかもしれない。


リングはいいところなのだ。極上の秘め事、秘密の極地を四方から観客に観られる、最高の装置なのだ。俺はまたここでエクスタシーを感じるだろう。