昨晩、京王線で忌まわしい事件が起こりました。

ニュースを見た瞬間、自分がいつも利用している京王線の路線でとんでもない凶悪な事件が起こっている。それも映像でその一部始終がSNSによって拡散されていき、その緊迫した状況が伝わっていきました。


僕は京王線を幼稚園児の頃からずっと利用しています。そもそも親がずっと勤務先から住む場所まで京王線のエリアを転々としいたため、僕にとっても"京王線の沿線で育った"という意識があります。


これは僕の感覚ですが、京王線はとてもその沿線に住んでいる人たちに愛されている鉄道だと思います。新宿から八王子、高尾を結ぶエリア、橋本や多摩センターなどのエリア、そのどれもが牧歌的な空間と、住みやすい街をそれぞれの駅を中心に形成しています。


なんでもあるわけではないけど、不便ではない。遊べるところもないわけではない。名所がないわけではない。が、都会と言い切れる感じでもない。めちゃくちゃ洗練されてると言い切れる感じもない。けどなんだかとても愛せる。そういう絶妙な街が多いというイメージが僕にはあります。あくまで僕の所感ですが。


駅前には京王グループのスーパーマーケット京王ストアが隣接されている駅も多くて、そこで買い物をして、暮らしている人も多いと思います。京王ストアに関しても、不満ってそんなにないと思うんですよね。みんな京王ストアが好きだよ。


特に区内を外れたエリアに入れば、その絶妙さの居心地の良さも感じられると思います。


僕はそういう京王線を好きでずっと生きていました。駅員さんの対応や、駅の雰囲気もとても好きです。しょっちゅう荷物を置き忘れても、先の駅で見つけてくれて保管してくれてることが沢山ありました。


そういった自分の愛する路線で、テロが起こったことにとても動揺しましたし、もしかしたらその電車に自分が乗っていた可能性も十分にあり得たなと思います。


もしかしたら自分もそこにいたかもしれない、という喚起力が今回は尋常じゃないくらいに凄くて、自分もショックを受けていました。


事件の詳細、その背景も恐ろしく、考えなくてはならないことが多いのですが、今回は自分へのダメージが想像以上にあったことにビックリしました。


今日の聖蹟桜ヶ丘駅周辺はいつもと一緒でした。こうした牧歌的で、ホッとする街並みの景色がこうした事件に犯されることに遺憾の気持ちがあります。もし、自分がそこにいたかもしれないという想像と、この京王線沿線の繋がりというのは心の繋がりでもあるんだと感じました。この沿線一つの区間で凶悪事件が起これば、そのエリアにいなくとも自分にもショックがこんなにもあるんだと思ってもいなかった。



それだけ僕は電車を使い、電車で通って仕事をし、電車を利用して通学もしていた記憶もあったのだということを思い知らされました。


だからこのダメージを考えて生きることがはじまりました。この京王線の事件を考えなくてはいけないし、他人事ではない傷を抱えた感覚があるわけですから。