鑑賞中、何度も心が震えてくるような感覚がありました。



主人公のガイはゲーム内の背景にいるモブキャラ(背景キャラ)としての人生を生きている。その人生に疑問もなく、ゲーム上で与えられたプログラミングによって生きているが、あることがキッカケとなり、そうした人生を変えようとするというのが大まかなストーリーなのですが、この大まかなストーリーはとても自分自身にも置き換えられるような、自分はどうなんだ?と突きつけてくるような喚起力があったのですね。


例えば数年前の僕で言えば、僕はDDTの中にいるただの映像スタッフで、プロレスで言えばその辺にいるインディレスラーという位置付けでしかなかった。というよりもそういう役割を与えられているような、無言で「君はそっち側なんだよね」というのを周辺の人間たちから感じたわけです。ですが、私はだんだんそういうプログラミングで毎日を過ごすのが嫌になるわけです。「僕だって凄い作品を作りたい、僕だってチャンピオンになりたい」という潜在意識をひた隠しにするようなことはやめようとする働きが自分の中に蠢きはじめる。そうするとプログラミングにバグを作らせようとする。プロレスキャノンボールでの僕の行動はまさにそうしたらバグを作ろうとする僕のおかしな行動が記録されていますし、自分の与えられたプログラミング以上にトレーニングをしたりして、自分を変えようとするのは僕にとって顕著な行動だっだと思います。


この映画はかつて自分もそうしたザコキャラの1人としての自分を受け入れたことがある人、今もなおそうだと感じている人、諦念の感覚が拭えない人にとってとても突き刺さる映画だと思います。


そうした感情に訴えかける映画というのは他にも沢山ありましたが、こうしてモブキャラという非常に分かりやすい設定とライアン・レイノルズの芝居や演出によってスッと入ってくる。


レイノルズ以外のプレイヤーが操作するゲームの各アバターも、おそらくプレイヤー自身が「なりたかった自分」をビジュアル化してゲーム内で操作しているようにも見えます。そうした願望を具現化するのが「今のゲーム」のスタンダードだとも思います。一昨年にやりたいゲームが出来てPS4を買いましたが、今のゲームが与える体験の没入度の高さに驚かされます。使い方次第では人生を豊かにしてくれるものになるでしょう。この映画の世界はゲームがそうした市井の人々に浸透して生きていることも描いています。私がこの作品を友人に勧めたところ「ゲームをしないのでピンとこなかった」と言われてしまいました。そういう意味では私以上にもっと若い人にも向けられた作品だとも思います。


そういう意味では私はプロレスラーとして派手なコスチュームを着て、リングに上がれるのだから幸せとも言えます。


とにかく他人事じゃない。そうした出来事が非常に巧妙な脚本と、明るいムードによって牽引されていく。


主人公の自覚が、同じようなモブキャラに

新たなリーダーの誕生、そして新たな革命運動となっていく段階を見せていくこの映画。


カメオ出演のチャニング・テイタムのバカ演技や、終盤にとある映画の凄まじいオマージュっぷりなど、映画そのものに"隠しコマンド"のような仕掛けがあるのも楽しい。こういうのは映画を沢山観てれば観てるほど面白いと感じれるので、得した気持ちに私はなりました。


随所にデッドプールっぽさもある。私はこの作品を断然支持します。