レスラーとしての2020年闘い始めをしてきました。


年末年始、各団体で熾烈な興行戦争が行われていて。僕はほとんどスタッフとしての稼働で興行のための裏方業務や映像制作などでした。うん、でもこの時期に試合をしていない、試合がないということが猛烈に違和感があったし、寂しさもあったし、他の団体の話題に対して、自分たちが止まっちゃってる感じがしてしまったのだった。


だからとにかく心の中はいきり立っていて、早くプロレスがしたいという状態でした。


ガンプロの闘い始めは1.12板橋大会。僕は鷲田とシングル。

ガンプロの生え抜き選手として彼と過ごした時間がたくさんあって


言ってしまえば、彼をデビューまで育て、デビューさせたことで、僕が初めてプロレスラーとして認められたというか、ガンプロが団体として機能しはじめたということが周りに伝わったり、事実として残ったことがあったりして。


彼がデビューして二年。僕よりもいい経験出来てるんじゃない?ってくらいいろんな選手と戦ってるようだけど、彼そのものの軸や、彼の良さがまだはっきりと見え切れてないのも事実で。


そんな中で、僕とのシングルは普段道場で一緒に練習している仲間ということもあって、ガンガンきやすかったと思うし、食ってやろうって気持ちも沢山見えてきました。


彼はキックボクシングをやっていたと言って、ガンプロのオーディションに受けてきたわけだから、僕はそのキックを打ってこいよと、アピールしたわけです。彼は試合で一体何発キックを打ったのかな?本当に沢山打ってきた。でも僕は倒れなかったです。倒れた方が楽なんだけど、何発打ってきてもお前の先輩は簡単に倒せないよってのをね、見せないとと思って。これは意地というか、僕のレスラーとしての気持ちです。全力で打ってこいよ、全部受け止めてやるっていう、僕の気概でした。自分のカラダが持つかどうかも試したかったですが、持ちこたえましたね。僕は鷲田に対しては老害でありたいです。だって明確に直属の後輩と言えるのは彼しかいませんから。「うるせえ、このやろう!」と壁でありたいんです。





この日の2試合目はバトルロイヤル。インディJr.の次期挑戦者決定戦。僕は鷲田戦でまあまあ出し切っちゃってて、集中力が難しかった。アドレナリンは一度出し切って、もう一度あげるのが難しいよね。それでも気がついたら、どんどん脱落者が出始めていて、翔太と冨永だけになってました。ラッキーですよ。


鷲田に勝てたことで、なんか負け癖のようなものから少し開放された感じもあって、この日は勝負勘ありました。決め所でしっかり決めて、僕が勝ちました。


2.24成城ホールで、石井慧介の持つベルトに挑戦です。

僕はねえ、ガンプロの顔になる気概もあるし、何よりインディJr.というベルトの存在意義というか、そのベルトの名に相応しい王者になれるっていう気持ちがあるのね


フロンティア精神を持って、この令和の時代に新しいインディー系団体の可能性や未来や面白さというものをこれから見せていく必要があって。それは多様性だったり、熱量だったり、観たことがないことだったり、まあいろいろだけど。その中心の顔になる覚悟があるのね。石井さんのことを尊敬しているし、間違いなく彼がいることで、向上心、上昇志向、ガンプロを強い団体に変えるという目標に切り替えられていると思うし、彼がその象徴として支持を得ているのも理解している。だからこそ、その目標や視座だけだと「フツー」になる危険性も孕んでいて。「フツー」になると埋もれちゃう。これだけたくさんの団体があって、たくさんの個性があって、ユーザー側にもたくさんの選択肢がある。そこで積極的にガンプロを選んでもらえるための強みがもう一つ欲しいと思ってる。そのためにもインディJr.のチャンピオン像を従来のチャンピオン像に捉われないチャンピオンが必要なのではないかと思っていて。そこは自分だろ!って気持ちがある。そう思っていたら、石井慧介に襲撃された。フツーじゃなかったこの人。すごいわ。でもこのフツーじゃない彼のモードが、なんだかいいよね。みんな感じてると思う。そう来なきゃ!って。




翌日はガン仁田プロレス旗揚げ戦で大阪に移動。2ヶ月連続で大阪で試合ができるなんて。ついこの間まで東京圏で月1しか試合がなかった僕からしたら願ったり叶ったりの状況でございますよ。長距離の移動はキツいけど「レスラー」としてのアイデンティティが強くなる。どこに言っても自分を表現する、相手と闘う、カラダを作る、気持ちを持っていくっていうことが人間としての強さにも直結していくよね。


行きのバスで、少しアップ予定の映像のスイッチングをしたりしながら、大阪へ。

モンゴルさんが、子供を連れてきてるんだけど、微笑ましいったらありゃしないぜ。俺たちはファミリーだ。という言葉が過ぎる。





大阪大会。流石に昨日のダメージがしっかり残ってて。腰もちょっと調子がbad。でもだからってやりたくないとかそんな気持ちにならない。ガンプロ純潔タッグマッチといっても、しょっちゅうやってるわけじゃなくて、ちゃんと新鮮さがあるんです。


試合は容赦なく袋叩きにあったなー。石井&岩崎はいいチームだけど、俺を相手に「何をしてもいいという気概」がいつも以上感じられた。俺を人と思っていないようなことをたくさんしてきたね。岩崎に至っては俺の場外ランニングラリアットを追いかけてきやがった。今成ワールドの世界のさらに上をいってきやがった。そんなアイツは強い。


うん、ボコボコにされたんだけど、逆に石井さんには少しだけ恐怖感を与えられたんじゃないかな?

やってる本人も手応えありすぎる技をかけても、僕が壊れてはいないわけだから。現にTwitterでは「頑丈だ」とコメントしている。


僕は自分自身を「頑丈」と自覚はしてないんだけど、粘り強いというか、諦め悪いというか、容量が悪いことも含めて全部愚直にやってしまおうっていう気持ちを持ってて、そういう精神性がいよいよ肉体にも宿り始めているなっていうのを感じています。アウトサイダーに出た時も相手選手の左ストレートを顔面にもらいまくったけど、倒れなくて、相手選手が「タフっすねえ」と言ってくれたこともあったり。タフな自分を作ったのはタフにならざるおえない仕事をしてきたっていう自負があるからなんじゃないかと思っている。そんな自分を全肯定するためにも、次のタイトルマッチはボロボロになるのは覚悟の上で、勝つ。勝つための技、気持ち、体、スタミナ、物語。全部気持ちを上げていこうと思うよ。





そしてメーン。グレート・ニタが登場だ。20年前に大仁田厚自主興行『グレート・ニタ葬儀』後楽園ホール大会を観に言った。ムタに負けたニタを成仏すべく行われた興行で、後楽園のロビーにはでっかい棺桶があった。あの大会を観に行き、阿鼻叫喚の大仁田ワールドに引き込まれて、一気に邪道信者と化した私。あれから20年。自分も大仁田一座の一員として、邪道一家の人間として、このメーンを見届けることに。


大仁田厚旗振り隊の方々が花道前にいて、僕も目が合うと、そのうちの旗を一つ貸してくれたのだ!

「邪道魂」という旗を持つと自然とテンションが上がる。「ファイヤー!」「ニタあああ!」と口から叫びが溢れてくる。僕は一瞬で20年前の大仁田信者だった頃に戻ってしまったのだ。もうこうなりゃ思いっきり楽しむしかない!


そして遂にニタが入場。旗振り隊の皆さんと鼓舞!






そしてニタが阿鼻叫喚のファイト。奇声を発し、鎌を乱舞し、会場を所狭しと暴れまわる。

もはや試合というよりかは、ニタをこの大阪に召喚してしまったという「儀式」「奇祭」といった雰囲気だ。コンプライアンスが叫ばれる時代に、コンプライアンスを一切無視したニタという毒の怪物が暴れまわる。しかしどうだろう。試合が終わり、大家がマイクを持った。おお!ニタに負けじと大家健が叫んでいるのである。その様子を観たニタがジェスチャーで「長い!」と大家に伝えてくるが、大家は叫び続けるのである。「ここで食われてはダメだ」の気持ちなのか、わからないが大家健がニタの放つエネルギーを受け止め、さらに大家も狂い始めた。サウンドはB’zのバッドコミニュケーション。俺たちの団体歌と言っていいだろう。暴れるニタを無視して、大家がリングを叩き始めた。それに僕も乗った!ニタに構うことなく、僕も歌い始めた。





そしてここにガンプロの「強み」があった。毒を持って毒を制すという言葉もあるが、我々だって時に毒になることが出来る。ニタに決して場を持って行かせず、僕たちはリング上に立った。そしていつものことをやった。歌を歌って締める。その「いつものこと」には小規模ながらコツコツと興行を続けてきた僕たちの強みがあった。どんなときでも、どんな相手でも、そうすることで、「俺たちの興行」にしてきた。こういった強みを僕たちはもっと発揮していっていいのだろう。それはうまいこと言語化出来ないことだが、ここで僕たちがリングのど真ん中に立っていたことは強みだと僕は思う。


そんな凄まじいエネルギーの興行を終え、撤収をし、バスに乗って東京に帰ってきた。

カラダは疲れているが、あまりに熱い熱量がカラダを覆っている。


この二日間は完全にプロレスラーでいれた。

そして僕らにある、うまく言えない強みが確実に見えた瞬間だった。


まだまだshow must go onである。


2月は勝負。


2月2日は『全身今成』

2月24日は成城ホールでインディJr.挑戦。


勝負です!