沈没家族と呼ばれるコミニュティの中で育った土さんが自らの家族のアイデンティティーを探っていくセルフドキュメンタリー。

沈没家族というのは当時メディアでも話題になったりしたらしい。その当時の映像も本編で挿入されています。

子供を育てる人をビラで募集する。赤の他人たちが主人公である土くんを育てるために作られたのが沈没家族です。

今風だとビッグダディの息子の一人が映像作家になってビッグダディを撮るような感じと言えばいいだろうか。

フジテレビのノンフィクションで撮られそうな題材を当事者そのものがやがて成長して監督となり、カメラを向けていくことそのものが本作の魅力だと思いました。

ここに出てくる土さんの母ちゃんはなんとも言えぬ独特の可愛げを放っていると思う。確かに子育てを赤の他人である人たちをチラシで募って行いそうなそんなバイタリティが滲み出ている。エネルギー溢れるお母さんだ。それはある意味で責任放棄とも取れかねないけども、若さ故に出来る行動とも言える。SNSがない時代にこうしたコミニュティが作られていることに驚きがある。

本編の中で父親として認知していなかった父親と会うシーンはなかなかエグみがあった。この人のルックスがどこか強烈である。歯が数本ないのと、強烈に刈り上げられた髪型はその人の背景を物語るには十分ほどに強烈。(水曜日のダウンタウンとかのインタビュー素材とかで出てきそうな雰囲気さえある。)この彼が自分なりに一生懸命やったのだと、声を荒げるシーケンス。当時の若さと子供を育てるという責任のようなものを否応にも振り返らざるをえない強烈なシーンだ。だって息子がカメラを持ってアレコレと質問してくるわけだからね。答えたくないこともあるだろうけども。この映画の一つの強烈なハイライトではないかと思えた。

映画を見ていてどうしても少し気になるのは、監督がぶっきらぼうに設置したであろうカメラに収まりながら、タバコを吸いながら母ちゃんなり取材をしていく人たちと話をしていくところ。タバコを吸ってるのは成人であることを物語るためには有効かもしれないのだけど、取材をする人間としてはどこか誠実さが見え辛くなる気がした。もし自分が取材される側でパコパコとタバコを吸われてたらあまりいい気はしないかもしれない。これは好き好きだと思うけども、そういうことも映っちゃってるんだと僕は思った。うーん、野暮ったい意見だけども気になっちゃうのよ。このあたりはAV系のドキュメンタリーの影響なのかもしれないけども。

ラストは監督自身の謝辞によるややポエジーな締めくくりだった。実際これらの出来事を取材して「ありがとう」と思えたのは監督自身の実感なんだろうけど、その言葉では括ることの出来ない感情をテロップではなく映像で見たかったような気がした。少なくとも僕が土さんの側だったら、「ありがとう」以外の感情も持ち帰りそうな気はするし、その言葉では括ることは出来ない多弁さを含む映像も収録することが出来たとも思えてしまう。

「ありがとう」とエモみの強いテーマソングの歌詞が流れるエンドロールに僕はやや違和感がありました。それはどこかやたらとポエジーなことが壁に書かれているラーメン屋のような感じ。僕は個人的にそれらのラーメン屋には違和感があって、その気合いを店内の壁じゃなくてスープに感じられればいいよ、というタイプの人間なのです。だからなんかこう、この締めくくりは「一杯に感謝」みたいな雰囲気を感じた。

それよりもその感覚はスープ1杯で客が感じたいところではあるんじゃないのかなあとおもいました。
もっと行間たっぷりで、お母さんの顔とかで締めくくってよかったんじゃないかなあと思えました。