数奇な話である。



数ヶ月前たまたま「今成」でエゴサーチをしていたところ、「今成宗和」の文字がTLに流れてきた。これは僕の親父の名前なのだが、その流れてきた情報によると僕の親父はどうやらとあるピンク映画の脚本に名を連ねているようなのだ。




親父がかつて映画監督を目指していたらしいということは、本人からはなんとなく話を聞いていた。家には映画に関連する本なども書庫にあったし、僕が大学で映像を学び、将来は映画をやりたい気持ちがあることをと知ると、「それならシナリオを書きなさい」と口を酸っぱくして言っていた。

親父は若い頃に助監督経験があったらしいのだが、結局のところ監督にはなれなかったらしい…という話も聞いていた。20代の頃は撮影所の出入りををしていたらしいのだが、その後は芽が出ずに辞めていて、デザイン会社に就職。そこでもウマが合わず、後に独立して、マーケティング会社の自営へと経ていった。そういう「うまくいかなかった過去」があったのは知っていたのだが、実際のところ、どこまで映画に携わっていて、どこまで映画に夢を持っていたのかは僕にもよくわからなかった。

しかし、実際にTwitterで親父と同じ名前を見かけ、これは直感で「親父が書いた脚本なのだろう」と思ったのだ。この名前で同姓同名の男などはなかなかいないないだろうし、自宅には数本のピンク映画のVHSが保管されているのを見かけたこともあったからだ。

調べると作品タイトルは『白昼女子高生を犯す』(改題『欲望の海 義母を犯す』)と分かった。タイトルは”女子高生を犯す”なのに、改題になると”義母を犯す”になっているのはピンク映画特有のツッコミどころだが、そんなことは野暮ったい気持ちになる。

しかしながら調べて行くと、その映画は監督はなんと日本を代表する映画監督の一人である広木隆一監督で、その映画自体も数あるピンク映画の歴史の中に、きちんと名を刻んだ一本らしいのだ。確かにそうでなければ、こうしてリバイバル上映で平成も終わりを迎えようという現代に劇場にかけられることもないだろう。

その作品が新東宝ピンク映画祭で特集上映にかけられ、1日から7月5日までラピュタ阿佐ヶ谷で上映されると知り、居ても立っても居られなく、僕は劇場に向かったのだ。



映画館で上映される映画はこの数年でフィルムからデジタルへの移行を完了している。そのため35mmフィルムでの上映は貴重だ。今回の上映プリントはやたらと綺麗なものだったので、おそらくニュープリントのものだろうが、実際に見てみるとやはりフィルム独特の質感と色味がたまらない。



上映が始まると、オープニングクレジットに「脚本 今成宗和」ときちんとテロップが出た。
僕は心の中で「おぉぉぉぉ!」と心躍った。
映画本編はユニークなダイアローグもあり、笑えるシーンもあった。何よりピンク映画らしい叙情性が突出したいい作品だった。
シナリオはこちらを参照して欲しい。

そして何よりも作品のオープニングとエンディングに
「夢、夢、夢、夢、夢、夢、夢、夢、夢、」

という謎のモノローグが挿入されるのである。
僕がなんで「夢人」と名付けられたのか。「僕の名前はなんで夢人なの?」と親に聞いたことはない。ただお袋は「私は倫太郎っていう名前がよかったんだけど、父ちゃんが夢人がいいって言ったのよ」と言っていたのは覚えている。つまり間違いなく夢人と名付けたのは親父なのだ。

これは勝手な憶測なのだが、この作品が作られたのは1984年の作品だ。親父はお袋と一緒にこの作品を金を払ってを観に行っていたらしい。この作品を二人で鑑賞し、思いの外、エロい完成度の作品を前にして二人はそこで劣情を催し、ベッドイン。一年後の85年に生まれたのが僕、夢人なのではないかと。

僕が1985年の9月生まれだから、なんとなくタイミングも合致している。絶対そうだ!そうに違いない

「謎は全て解けた!」



金田一少年ばりの自分の推理に僕はいささか鳥肌が立ったのである


これを観に行く前に、親父にショートメールで、「これは親父の作品?」と確認をとり、今、ラピュタ阿佐ヶ谷で特集上映にかけられているので、観に行ってみるよ、とメールを送った。

返事が帰ってきて、これは親父が20代の頃に書いた作品で、商業映画として親父の名前がクレジットされた唯一の作品だということが分かった。





メールのやり取りの中で親父はとても恥ずかしがっていたが、まさか現在、プリントが残っているとは思ってもいなかったようだ。

そんなことを憶測で考えたり、この映画を目の前にして、「自分の名前の意味ってなんだろう」と考えてみる。どうして生まれたんだろう。どういう意味が込められてるんだろう。今更ながらそんなことを考える。


これは考え過ぎかもしれないけど、もしかしたら、親父は映画を作るという夢を僕に預けているのではないかと思った

2010年ごろ大学卒業が迫っていたタイミングで、僕は卒業制作で作った短編映画「ガクセイプロレスラー」のDVDをリビングに置き忘れたままにしてしまった。そうしたらこっそり親父がそれを再生して観ていたらしい。
親父はそれを観て「素晴らしい映画だ」と言っていた。
それ以外にどんな感想をその時に伝えられたかは忘れてしまった。
ただ、「これは青春を活写できているとか、君にしか撮れないものだ」と言われたような記憶がある。

もしかしたら親父は嬉しかったのではないだろうか。一人しかいない息子が映画を作ろうとしていることに。

今の時代はデジタルで安価で機材も手に入るし、やり方によってはどインディーズでも作れる。何より超低予算でも、ドキュメンタリーのような手法なら、映画として形にしやすいのではないだろうか。それは親父が過ごしてきた時代からしてみればとても羨ましい時代だろう。


以前、僕は「DDTで二本劇場公開作を作ったよ」と言ったら
「うーん、、、、助監督はもういいよ。監督をやりなさいよ」と言ってきた。

それはどこか監督をやれずに映画人としてのキャリアを終えた男の切実なアドバイスのようにも思えた。

「夢、夢、夢、夢、夢、夢、夢」というモノローグ。『白昼女子高生を犯す』の中でそれは初体験は好きな人としたいという主人公の願いなのだが、自分にはちょっと違うメッセージを壮大に受け取ってしまった。(結局、その夢を義母とセックスすることで消化するのだが。。。)

そう嘆く男の映像が「夢人」と名付けられた僕へのタイムマシンのようなメッセージのように感じられたのだ。

見終わった後に親父にショートメールを送った。
「いい作品だったよ」と。

すると親父は返事を書いた。
「広木さんは踏ん張ってのし上がった、僕はダメだった。運がなかった。」
という短文だった。
広木監督はその後、廣木隆一名義で日本を代表する映画監督になっていく。
近年の作品などでは「さよなら歌舞伎町」「ナミヤ雑貨店の奇蹟」といった作品が記憶に新しい。

タラレバで考えるのは不毛な時間だと思っていても、少し考えてしまう。
親父がこのまま諦めずに脚本を書いていたら、日本映画を何本か書いていた脚本家になっていたのだろうか。


親父のショートメールには映画を諦めた男の切実な気持ちが込められているように思えた。
親父は映画をやりたかったが、諦めたのだ。

でも、これも全部勝手な憶測だが、その夢はなんとなく自分に託されているのではないか。
なんだか、そう思えてならないのだ。

「お前は踏ん張ってみろ」そういうメッセージが34年の時間を経て、今ここに蘇ったのではないだろうか。だとすれば、この映画は本当の意味でタイムマシンだ。

親父は「まさか34年経って、息子にバレるとは思わなかった」とメールをしてきた。
本人的にはピンク映画で、内容も内容なので、もしかしたらそのまま知られずに墓場まで持っていきたかったのかもしれない。

でも僕ももう大人なんで、そんなことは全然恥ずかしいとは思わないし、とても立派なこととして感じられる。何より、こうしてリバイバルで上映される作品であるということがとても誇らしい気持ちになった。

『白昼女子高生を犯す』には「何者でもない親父が、何者かになろうとあがいていたことがきちんと刻まれていた作品だった。それは僕がやっているガンバレ☆プロレスのようなものだ。親父が若かった頃のガンバレ☆プロレスのような気持ちで作った、何者でもなく、うだつの上がらない頃の気持ちがしっかりと映し出されていたように思えた。いや、そう感じたいし、もうそうだとしか思えない。そんなパズルのピースが34年の月日を経て、繋がったんじゃないだろうか。

作品を観終え、僕はそんなことを思い、一人泣いて佇んでいた。
ロビーに行くと、この作品に出ていた池島ゆたか監督がいたので、話かけた。
「これ、僕の親父が脚本を書いた作品なんです」

「へえ〜!そんなことあるんだねえ。でもここにいる出演者はもうほとんど音信不通だし、中にはシャブやって死んじゃってる人もいるからねえ。お父さんは元気なの?」

「えぇ、元気でやってます。怪しいことをやってはいるんですが、元気です」

という話をした。

新東宝の部長さんも来ていて
「DVDもあるから、お父さんに送るよ」と言ってくれた。


僕はあまりに余韻がすごくて、阿佐ヶ谷駅のあたりをウロウロして、ようやく落ち着き中華そばを食べた。

34年という月日、親父のうだつのあがらなかった、それでも何か夢を追いかけていた頃の記憶と記録、そして自分に託された「夢」というキーワード。

今成革命は僕に、家族という存在を映画という装置によってクローズアップさせ、大きく前進しようとしている。これは僕個人だけの問題ではない。たった二人しか残されていない、僕と親父の夢物語だ。

僕にはそんな気がしてならないのである。