『フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法』




新宿バルト9で鑑賞。きちんとコンディションを整えての鑑賞。劇場は昼過ぎの回だけど、なかなかの入り。口コミや宇多丸さんのラジオの影響でしょうか。


あらすじは端折ります。各サイトなどを参照してほしい。


映画のオープニングは子供たちが無邪気にはしゃぎながら舞台となるモーテルの独特の壁を映し出して「Clebretion」でスタート。軽快なサウンドで一気に引き込まれる。筆記体のフォントで、キャストの紹介。特に凝ってるわけでもないのに、なんだかとってもいい。私はこの時点で何かをグッと掴まれている。


子供たちがとにかく無邪気に暴れまわる。どうやって演出陣はコントロールしているのだろうかと思うくらいに、自由で、エネルギーが凄まじい。単なる子役がはしゃいでるだけじゃなくて、画面設計や、子役の顔にこちらが微笑ましく思える余白のようなものがある。観ている私はただただ微笑ましく、そしてそのエネルギーに飲み込まれた。(この手のエネルギーは大人では再現が出来ないようなものだと思えた。子供ならではの、子供だからこそ創出されるもの。天然性が強いというか。農薬がない映像素材という感じがした。)


監督の前作「タンジェリン」もイメージフォーラムまで観に行ったんだった。iPhoneで撮られた映画ということもあったが、本作でも根本的な撮り方の変化はさほど感じなかった。むしろiPhoneで撮ろうが、35mmのフィルムで撮ろうが、機材の変化などよりも、監督の普遍性をとても強く感じた。映像を作る側から見れば機材がどうとかっていうのはやっぱり言い訳になってしまうのだと思えました。


映像は実にカラフルだ。色彩の豊かに満ちていて、舞台となるモーテルはパステルカラーのパープルを中心に色彩豊か。子供の衣装もパステルグリーンの服だったり、色が本作でもとても重要な要素になってる。35mmのフィルムの効果もあって色彩の色幅がとても豊かだ。その豊かさが観ているこちらの気持ちもとても暖かいものにさせてゆく。


デフォー演じるモーテルの管理人は父性と、孤独さと、仕事にきちんと従事しようとする真面目さも持ちながら、子供たちの悪戯に迷惑がかかりながらも、どこか温かい目線で見守っているきちんと叱りながらも、叱るだけではない視点、優しい視点がきちんとそこにはある。何度か引き画になると、ウィレム・デフォーがやたらとデカく見えた。実際にデカいのだろうけど、シュッとしたジーンズにTシャツがまあよく似合い、カッコいい。デフォーはきちんと監視カメラで監視をしたり、見回りをしたりしながらきちんとモーテルを守ろうとしている。一度怪しげな人物(これまた怪しいおじさんだ。ハーフパンツにそれなりの長さの靴下をはいたおっさん)が子供たちに接近してくるが、それを追い払うシーンは凄まじい。シンプルだが、デフォーの正義感と怒りが瞬間的にフィルムに充満する。そのおっさんが危険だったかどうかは分からないが怪しい人物を追い払うこのシーケンスは彼がこのモーテルの守護神であることを伝えてくれる。


子供の母親はハッパばかり吸いながら、その日暮らし。カラダにあるタトゥーと、青い髪が印象的。低所得であり、ダメ親的な雰囲気を出しながらも、子供は彼女を慕い、また母親も子供に愛情を示していく。


直接的に貧困そのものを描こうとしていないのがとてもいいです。こういうのは直接的に描こうとしなければしやいほど、受け手はユーモラスに感じられるような気がします。


ラストシーン、母親の感情も決壊し、また子役の感情も決壊する。もう二人のその関係が終わろうとしていることを示唆するシーケンス。そこで子供は走り出した。ディズニーリゾートへ向かう。魔法が解かれたのか、それとも魔法に再びかかったのか。そこで映画は終わる。


やや衝突な終わり方に、僕は納得がいく。その先の説明より、この子供が走っていくこと、さらに映像で「魔法」の存在を感じさせる、または「現実」に寄っていく方法に、ハッとさせられた。気づくとエンドロールでその余韻に涙を流していた。


この映画を観たら、自分もなにか作りたい衝動に駆られた。これがインディーズの映画というのもあるし、エネルギーに満ちているというのもあるし、プロを沢山使ってるわけでもないという点もあるし。それでも僕は久々にそう思える作品に出会えた。


あー、とにかく良かったです!