「タクシー運転手 約束は海を越えて」

シネマート新宿で鑑賞。実話をベースにした作品。この映画の大きな軸、それはタクシー運転手役のソン・ガンホの存在感に尽きるのではないでしょうか。ソン・ガンホの感情の伝達力や、全ての表現に謎の可愛気のようなものが感じられます。その可愛気の幅の濃淡がコミカルからドシリアスな状況にまで、凄まじいほどにあるので、ある程度シリアスな展開になっていても、ソン・ガンホの顔や、動きを見ていると、絶望的な状況に対しても微かな希望が残っていると思わせるようにも感じられる。とにかくソン・ガンホという役者の特性が遺憾無く発揮されているような感じだ。


主人公がどんな人間で、どんな生活で、どんな性格なのか?序盤のシーケンスで、それらを的確に無駄なく演出していきます。その流れがあまりに見事で、ため息が漏れそうになりました。どれもが映画として的確なモンタージュ、カット割り、画角。それらに違和感がなんらなく、それでもその時代の空気感をきちんと映し出している。説明的だなあと思う箇所がなく、人間像が一つ一つのアクションで紡がれていくのがとても見事だと思いました。


主人公とそのもう一人の重要な人物であるピーターと遭遇するシーンも見事な構成。ピーターが何を目的に行動しているのか、観客にはなんとなく分かるくらいにしておく配分など、映画としての語りが上手くて仕方がない。その二人が出会うのはタクシーの運転手とそれに乗車した客という関係性。やっぱりこのタクシーという存在がとても象徴的になっているのがいいですね。タクシー運転手であるソン・ガンホが異国人の客を乗せることで、韓国語が相手に伝わらないことをいいことに、ボヤきまくるのも、そのボヤき方にめちゃくちゃユーモアがある。「あぁ、なんて人間臭くて可愛らしい人なんだろう」ということが否応無しに伝わってくるわけです。一体どこまで脚本になっているのか分からないけども、ソン・ガンホのアドリブなんじゃないかというくらいの適応力を見せてくれるので、いい感じです。


あとは何と言ってもユ・ヘンジル演じる光州のタクシー運転手、この人の一目見たら忘れられない顔と、溢れ出す人情が中盤にかけてのこの映画の流れにいい効果を与えています。過剰なまでにいい人、しかしそれがいいんです。見ていて、こちらの心が熱くなってくる。後に彼らに悲劇が待っているであろうことを予感させるにも十分ですし、彼が後半部で勇気ある行動を取る瞬間は涙を流して見てしまいました。食卓に招き入れるシーンがよかった。「客人がいるのに、こんなものしかないのかよー」と奥さんにツッコミを入れながらも「自慢のキムチだ、辛いぞ」とキムチをピーターに食べさせて、ピーターがあまりの辛さにしんどそうな顔を見せる。でも異文化の交流ってこの温かさだよなあ!っていう感じがしました。とにかく微笑ましくなる。食事のシーンで心がほんわかするのはジョニー・トーとか得意ですよねえ


こんなにコミカルなことと、シリアスなことの両極を抱えられる映画ってそうそうないのではないでしょうか。題材も題材なだけにシリアスに本事件を伝えることも出来ると思うのだが、ハートウォーミングに、その歴史を経た現在の視点を忘れていないような感じがとてもいいです。


しがないタクシー運転手が、タクシーに乗って活躍するのもいいです。終盤のトラック野郎的な展開は号泣でした。しがない男と男たちが、タクシー運転手同士であるという絆を持って、集合し戦おうとする。王道的な展開ですが、全員が乗っているのが、黄緑色のタクシーなのです。これで軍用車相手にカーチェイスのなるのだから、熱くなります。


これは当時の報道やジャーナリズムの重要性も描いた作品かと思います。一人のジャーナリストが韓国で起こっている異変に、8mmフィルムカメラを持ってその場に訪れようとする。現代であれば、インターネットでこれらの報道も障害がなく出来るのでしょうが、当時ではフィルムを持って帰るというだけでも一大事だった。


それ以上にこの作品を読解していく上で熱くなるのは、やはりしがない男が見せる勇気、それと日常をユーモアたっぷりに生きるということが大事なんだ、なんだか僕はそんなことを感じられてとにかく心が熱くなりました。凄まじい大傑作ではないでしょうか。


光州事件については改めてもうちょっと勉強してみます。








『さよなら、僕のマンハッタン』

新宿ピカデリーで鑑賞。ピカデリーはこういう作品が似合う劇場だなあ。『(500)日のサマー』のマーク・ウェブ監督。この監督のスパイダーマンがイマイチだったという話を聞いたりしていたりはしていたんだけども、本作はそんなことはどうでもよくなるくらい監督として優れた視座を持ち合わせているのだなあと感じさせる作品だったように思えます。


この作品、どこか日本映画っぽい雰囲気が漂っているような感じがしました。いやもちろん場所はマンハッタンなんだけど、規模感や些細な心の機微などなど、自分には90年代の日本映画のような街のライティングや、雰囲気が感じられました。


この作品は謎のアダルトな雰囲気に満ちています。若い男の子が、年上の女性に近づいたり、年上の男性に道を切り開いてもらうような表現もあるわけですが、全体的に主人公の目線で映画を見ることになるので、近づいてくるジョアンナという女性なんかは危険な匂いも醸し出しつつ、やっぱりどこかで近づきたい、この閉塞した日常を壊してくれそうな雰囲気を出している。大人と子供では精神的な成熟も違うし、抱えている問題も違う。しかし、そこでその差を埋めるような出会いや、サムシングがあるのだというのをカメラは捉えていくんですね。ジョアンナは主人公の男の子から見ればやっぱりエロそうなお姉さんです。しかも父親と浮気をしていることを目撃してしまった。しかしその危険領域に行きたいという好奇心に駆られてしまう。


本作は尾行するというアクションが結構大事な感じがしました。尾行して覗いてみる。見たくないけど、見たい。好奇心がサスペンスを生んでいきます。映画ではよくある表現ですが、やっぱり映画的で、そしてアダルトだなーと思います。ええ、私もこんな魅惑的なお姉さんがいたらホイホイ尾行してついていくだろうなあとおもえてしまいます。説得力がありました。


脚本が超印象的です。特に年を重ねた人間ならではのある種の格言のような言葉が飛び交います。格言のほとんどは年を重ねた人たちで、まだ経験値の浅い主人公は手当たり次第にその格言を浴びせられていくわけです。ですが、その格言を放つ年をとった人間たちも、それを伝えようとするアクションが出て来るのは目の前に未来のある若者がいるからなんだろうなあと思いました。人間の世代間って色んな関係が築けると思うのですが、今作では年を重ねた人が若い人をナメきっているわけではない、されど経験を重ねたなりの結論を伝えようとしている。だけども若い人を目の前にして、その結論が脅かされそうになる瞬間を何度も迎えようとする。ある種の説教だとは思うのですが、本作は年を取った人たちが説教臭くなくユーモアを持っているのがめちゃくちゃいい。そして「経験値」も大事なファクターなんでしょうが、またそれ以上に主人公の持つ「若さ」や「才能」によってその経験値も変容していく様が見れます。


ジェフ・ブリッジスの渋さが群を抜いていた。ああ!こんな男になりたい!