爆音映画祭に二回行けた。やはり新宿ピカデリーは通いやすいし、いい映画館だ。もっとやって欲しい。単純に一度観ていいなあと思った映画を二度目を観る良い機会になるのであーる
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◾️「マンハント」
とんでもなかった。とにかく人に語りたい作品。犯人A役の斎藤工の「ヒャッハー!」とマシンガンをぶっ放すコテコテの犯人Aっぷりもやっぱり語りたくなっちゃう。池内博之氏の役柄はなかなか気の毒に思えた。


■『アバウト・レイ 16歳の決断』

「リトル・ミス・サンシャイン」チームが送る

これはつまり複雑化された家族体系を持った人たちが何らかのキッカケにより、再生を目指す物語に秀でているということを示す惹句であると思う。そして実際に本作もその惹句に相応しい作品。

主なキャストはジェンダーに悩む主人公(男になりたい)とシングルマザー、そしてレズビアンのおばあちゃん。

男の子になりたいという願望をGo Proのようなアクションカム(それこそ男性が行うであろうストリートカルチャー的なもの)の動きを挿入することで「今っぽさ」も含めて提示する。主人公はMac Bookで自作のセルフドキュメント的なPVも作っている(Final Cut Proで作っている、それくらいのものを作るのは若者にとって朝飯前だろう)

男になるために、薬による性転換の治療を行っているが、肝心の性別の変化は両親の許可が必要だ。しかしシングルマザーである母親は父親と長らくの間連絡をとっていない。その関係がどうしてそうなったのかは途中まで描かれない。

主人公は実に繊細だ。男として扱われたいと願い、また女として扱われることに嫌悪を感じている。好きな女の子が出来始める(それは主人公の視点と顔のモンタージュで提示される)が、あっさり女の子として扱われるため、その恋は破れる(その恋が本作で重要なわけではない)

母親が離婚した元夫と会いに行く。元夫の生活は分かりやすく「違い」を見せる。やや田舎の町なのだろうか、ゆったりした草木が生い茂った場所に高台のある広い家がそこにはある。元・夫は今は別の妻と二人の子供とそこでゆったりと暮らしているが、元・妻がそこに入ってくることで、まるで避けていた異文化が入ってくるかのように、変化が訪れてしまう。

さらに離婚の原因となった「弟」の存在も。この弟の存在によって家族として形成することが困難になったのだ。(理由は実にゲス。ゲスであるがゆえに、いとも簡単に家族構成が崩れるのだとも思うし、ガラスで出来ているのだとも思わされる)

エル・ファニングの身体がこの映画の肝であると思えた。男性になりたいと思うその願望と、男性のように見える女性ということをきちんと存在で魅せる力があるからだ。

最後はいいエンディングだった。家族が家族として再生した、再スタートをきったのだと思わせるには十分なエンディング。ただ食事を一緒にとるということの大切さが切実に伝わってくるではありませんか。

やたらと石原良純に似ているキャストがいた。テイト・ドノヴァンさん。他の映画でも観たことがあるけど本作はとにかく石原良純に似すぎていた



■『悪女』
確かにアクションは凄い。が、どこか根本的に熱くなれない何かがある。アクションカムのようなものを駆使した作品であれば「ハードコア」の方が遥かにノレた感じさえあった。よりボンクラに振り切っていたし、カメラのズームイン、アウトじゃなくて編集上で引き伸ばしたりしているような動きには好き嫌いが出るのではないだろうか。最初は凄いかもと思ったけど、観ているうちにだんだんとどうでもよくなってきてしまう。ベタベタな恋愛要素が途中からあり、むしろそこからちゃんと物語が見やすくなったが、全体的に現在と過去がいったりきたりする構成と、MVのようにアップにして舞台が変わっているというような演出が多くて、見辛かった。お話自体も「黒幕」に向かっていく流れもピークに向かっていく感じがしない。各種ゴア描写も最後のバスの運転手が腕を切られて、バスが横転する際はビックリしたが、それ以外ではなんともショック度が薄めな印象。全体的に出ている人間が間抜けに思えてしまう印象。派手な攻防を永遠と続けるプロレスのよう。好みじゃないのかな。

ド派手なことが続くからと言って、根源的にパッションが震えるわけではないというのがプロレスにも映画にも言えるのではないかと、そんなことを考えてしまいました。あとアクションのゲームっぽさは今っぽい!


■爆音映画祭でベイビードライバーとT2。
各サントラの良さが際立つ。ベイビーはipodのガジェットがいいし、おじさんとデボラとのシーンが全ていい。可愛気のあるキャストが皆愛おしい。トレスポ2は冴えない人生を送ったり、変わらない人生だったり、何かしらの妥協点というものを背負いながら活き活き生きる主人公たちにグッときた。

■『人生フルーツ』
とにかく元気な老夫婦の画の映え方と、自給自足の生活から観ている側に訴えかける強度。「こつこつ、ゆっくり」というメッセージの普遍性。フルーツをとる、料理を作る、それだけで映画として進行していける強み。長く生きるほど美しい、そう思える。私も長生き出来るか分からないが、長生きして、人生をもっと堪能したいものである。

■『15時17分、パリ行き』
事件当事者本人たちが演じるという圧巻の手法。電車でのシーンというのはそこまで劇的なことではないのだが、それまでに至る主人公の3人の関係性の描き方の丁寧さ。随所にどっしりと構えた巨匠イーストウッドの眼差し。余裕さえ感じられる。演技が決して上手くないということが実にこの作品ではいい。これが本人たちなんだから、そういうことを越えて伝わってくる。称えるべき勇気の浮き上がり。