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イメージフォーラムで鑑賞してきた。


2間半くらい。長い感じもあるが、実際のところ観終わった後疲れたけど、そこまで長いと感じさせない部分もあったかのような体感。

中国で働く人々を活写している本作。僕はこの作品を捉えるアプローチ、題材、そしてフレームの外に想起させる力についてとても考えさせられる作品だと思えた。


作品はほぼ手持ちのカメラ。だけど、じーっとほぼカメラを動かさないように撮ったり、フレームをズームイン、アウトをしなかったり。とにかくじっと対象者を捉える。

これによって画が暴れないので、何故かすーっと気持ちがその世界に入っていける。


昼のクリアな画も、夜のやや荒い画も、どちらも中国の風景としての現実が切り取られている印象だ。当たり前だが、そこから嗅ぎ取れる情報量が多い(行き交う原付き自転車、路上の様子、汚い部屋、列車の狭さなど)


ただただミシンで淡々と衣類を作る作業場。そこに歌謡曲が流れている。男性の労働者は暑いのか、上裸になっていて、腹は締まっていない。つまりそういうことなのだ。画はそういうことが起こっているのだと説明するには十分過ぎる強度を持っている。そういうことが日本にも流れてきているであろう大量生産されている衣類を作っている人たちなのだ。そこにいる人たちは低賃金で働き、何千、何万の単位の服を作っている。作業のスピードが遅いから、クビになった男は印象的だった。自分は作業が早いタイプではないと自覚している。だから次の職場もきっとダメなんだろうなと思いこんでいる。(そんな感じの人を僕も最近面接したことがある。職場を転々としている人の印象というか、迷い人のようなところって多かれ少なかれある)


酒を飲んで、給料を貰いに行く男は、酒浸りなので、社長に信頼されていない。ダメさ具合が汚い部屋で寝ている部分でも想像できる。


暴力を振るう夫のシーンも強烈。ただし過剰に暴力的であるわけでもなく、それが労働の問題に直面した夫婦の生活のリアルだと思えるDVのような暴力。足したわけでも引いたわけでもない。生活をしていた先に暴力がある。カメラはそれを冷静に捉える。そこにワン・ビンの凄みを感じるのだ。強いてはそれがドキュメンタリーの凄みだ。


カメラが覗くのは中国のごく一部かもしれないが、それが圧倒的に人口の多い中国の片鱗の一つだと伺わせるに十分な切り取りだ。

それが中国の間違いなく労働の一つであり、象徴だと思える、そう誘導出来る力があった。


ワン・ビン監督の距離感が絶妙だ。空気のように溶け込みつつ、しかし「そこにカメラはある」感じ。

ドキュメンタリーはつくづく人との距離感で作られるものであると思えた。変に介入しても気持ち悪いし、何も触れないのも面白くない。人と人の摩擦をどの程度のバランスで行うかという日常の意識が問われている。ワン・ビン監督はほぼ全作品をそのような距離感で撮影していると思うが、本作でも健在だった。


やっぱりドキュメンタリーって距離感だ。これだけどう考えても人との距離感でしかない。

距離感を見誤ればドキュメンタリーは作れない。


僕の身近な人でもそんな人がいた。人との距離感をうまく掴めず、誤った男が弊社映像班をクビになったこともあったが、要は距離感や関係性でしかドキュメンタリーのスタートは発射出来ないのだから、それが構築出来ない人間にはそういうことを捉えるのはきっと無理なのだ。


しかし自分がワン・ビン監督のようなスタイルでいいわけでもないだろう。

感情を引き起こさなくてはならない場面だってあるし、そもそも関係性の構築や、扱っている被写体のジャンルも違う。


だからこそこのスタイルを取り込みたいとやはり思えた。この作品は今後のインディペンデント作品を作っていく上で多いに参考になるだろう。