ワタシは乳がん、妹は白血病。
2019年1月 私が全摘手術をしました。
2019年4月 妹(享年49歳)が亡くなりました。
2024年4月 妹のご主人(享年55歳)が亡くなりました。
テーマ別「cancer sister's」では当初妹のことを書いていましたが、義弟のことも加えていきたいと思います。
 
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義弟の葬儀が終わり、GW後半は甥っ子と諸手続きや家の片付けをしました。GW中3日の平日は、役所や銀行の手続きをするのに貴重な平日となりました。戸籍に死亡の記録が反映されるのか、GWの前週から毎日のように役所に電話をしていたのですが、この時点では未反映で、本格的な手続きを開始することはできませんでしたが、銀行や義弟の会社で手続きの説明を聞くことができ、少し前進しました。
 


お葬式は義弟のお姉さんにお任せしたのですが、私は残された甥っ子がやるべきあらゆる手続きをサポートするという役割です。大学を卒業し就職していれば社会人1年生になる甥っ子ですが、大学院に進学したため、自分で稼いだお金で家賃などを払っていく、というイメージすら持てていませんでした。私がいろいろやってあげることはできるけれど、社会人1年生の年齢なのだし、私がやろうとすると義弟との関係を説明するのに一苦労でかなり厄介だから、サポートはするけどK(甥っ子)自身が手続きをするんだよ、という話をしました。
 


預金や生命保険の相続手続き、家や車の名義変更、税金や保険料の支払い、他にもたくさんやることがあります。タスク表を作り、甥っ子と分担しながら、ひとつづつ片付けている最中です。週末にかけて二人で帰郷し、家の片付けにも着手。これまで老人ホームに入った両親に会いにいく時には、甥っ子の家に泊まっていました。私の実家は売却することに決め、電気水道を止めていますので、泊まるところがないためです。これまでは、義弟がいつかは戻ってくるお家ですので、片付けしたいな、と思っても遠慮してきましたが、甥っ子と相談して、お家の片付けもしていくことにしました。
 


そんなこんなで、3月16日に母が倒れた、と連絡を受けて以降、非日常的な時間が続いていましたが、5月中旬になり少し落ち着いてきました。先週末は、久しぶりに友人とトレッキングを楽しむ週末を過ごし、早くもとの生活に戻ろう、と思えました。たぶん、私の気持ちはずうっと喪中だったのだと思います。毎日仕事もしていたし、温泉にも行きましたが、気持ちがざわざわしていて、この2ヶ月間に起こったことを消化できずにいました。義弟の死についてブログに書きたいな、と思いながらも、なかなか言語化できずにいたのです。
 


85歳の母は十分に生きたと思いますが、妹も義弟もあまりにも早い死でした。「残された私たちは、生きたくても生きられなかった人の分まで精一杯生きるべし!」 春になったら、きっと毎年思い出すフレーズになりそうです。