🌺ようこそ🌺いらっしゃいませ〜
温泉オタクが乳がんになり、2019年1月左胸を全摘し片乳になりました。でも湯巡りは楽しく続けているよ、ていうブログです。

なのですが、、、

🔹2020年4月
田舎に暮らす母81歳(当時)が脳出血で倒れ、右手右足麻痺で車椅子に。
🔹2020年11月
半年間リハビリ病院に入院した母を、86歳(当時)の父が自宅で老々介護する生活がスタート。
🔹2021年4月
有料老人ホームにふたりそろって入居。

🔹2024年3月
この両親セットの老人ホーム生活がもうじき丸3年というタイミングで、母85歳が亡くなりました。

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2024年3月16日(土)夕方
 新調したドライバーを打ち込むため、ゴルフ練習場で練習していたら、父から電話。母の様子がおかしい、起こしても起きない、息はしている、死んじゃいそうだ、という内容。続いて老人ホームからも電話。お父さんが救急車を呼ぶと言っていますが、呼んでもいいか?という確認。父が呼ぶと言っているなら呼んでください、今からそちらに向かいます、と言って電話を切りました。



3/16(土)21:30 
 ゴルフ練習場から急いで自宅に戻り、2泊程度の準備をして、280km離れている老人ホームへ🚗 着いたのは21:30。コロナで面会時に部屋には入れてもらえなかったので、入居以来3年ぶりに二人の住む部屋に入りました。母は呼吸はしているものの、どんなに呼びかけても、目を開けたり、起きたりしません。
 救急車は呼ばす、老人ホームに出入りしているクリニックの医師が来て訪問診療が行われた後でした。夕方チアノーゼが出ていたとのことでしたが、それも消えて、血圧や酸素濃度も安定しており、何か処置をすることもなく、このまま様子を見るとのこと。看取りまでやってくれる老人ホームで、入居時に延命措置は希望しないという書類を出しています。それは母が常日頃から言っていたことでもありました。
 この時点ではまだ、母がこのまま亡くなることはあまり想定できていませんでした。苦しそうに呼吸をしているわけでもなく、ただ起きない、目覚めない、という状況。明日の朝になったら起きるのかも、と思ったりしていました。何か変化があれば夜中でも電話ください、と老人ホームにお願いして1日目は終了。

3/17(日)
 母が眠りに入って二日目。朝6:30に電話が鳴りました。朝方、訪問診療に来た医者から症状を説明されました。どうして目覚めないかはわからない(病院で検査すればわかるのでしょうが)が、このまま見守りましょう、と。
 その後、私も朝ごはんを食べて、老人ホームに向かいました。あいも変わらず母は息をしているだけ。昨日、ちょっと横になると言って、昼食後にベッドに入ったきり、ずうっと寝ているだけ。口を開けて口呼吸をしているので、口や喉が乾いて呼吸しづらいと思うのですが、無理やり水でも飲ませたら息が止まってしまいそうで、手を出すこともためらわれます。
 正午が過ぎ、丸24時間、水分も栄養も酸素も摂ることなく、ただ息をしている状態が経過しました。このまま死んじゃうのかな?という考えも頭の中にはあり、母の顔を触ったり話しかけたりしながら、涙が出てくることもありました。その日も変化があれば電話をもらう、ということで、老人ホームを後にしました。

3/18(月)
 夜中に電話がかかってくるかも、と思うと気が気ではありませんが、朝起きると着信はなく、父に電話をすれば、息してるよ、と。ほっとしつつ、こういう状態って何日も続かないよね?とも思いつつ、老人ホームへ向かいます。
 テレワークができるように会社パソコンを持ってきましたが、さすがに仕事をする気にはなりませんでしたので、お休みをいただきました。亡くなると慶弔休暇がありますが、亡くなる前は普通の有給休暇です。
 相変わらず母は息をしているだけ。丸二日が経過。夕方大便がでたそうで、施設の方がおむつを変えてくださったそう。水分も、栄養も、酸素も入れていないのに、息だけしている、ちょっと不思議な感じ。
 母が3年前に脳出血で倒れる前日まで、毎日近所のプールに通っていたことを思い出しました。倒れた日にかけつけた時に、お風呂に水着が干してあった光景が蘇りました。あんな風に80歳を越えても毎日泳いでいたんだから、心臓が強いのかも、ねー。


⑦はホントだった


3/19(火)
 朝起きて、着信もなく、父に電話すると、相変わらず息はしている、とのこと。この状態はいつまで続くのだろう? 突然目が覚めて、あーお腹空いた、なんて言うとは思えず、なかなかお迎えがこないだけなんだろうな、と思えるようになりました。
 この日の正午で72時間が経過。よく地震等の災害でも72時間の壁って言うよな、、、72時間を過ぎると死亡率が下がる、母は飲まず食わずで72時間を越えたけど⁇
 この日は午前中テレワークをして、午後になってから老人ホームに向かいました。さすがに三日もこの状態が続くと、父も私もすっかり覚悟ができました。
 明日はお彼岸でお寺の住職は忙しいね、その翌々日は友引で火葬場がお休みだね、とお通夜お葬式の日程について、横で母が息をしているにも関わらず、父と会話。「ごめんよ、お母さん、失礼しちゃうよねー⁈」と声をかけますが、母は相変わらず息をしているだけ。耳は聞こえているよ、と施設の方はおっしゃってましたが、父や私が覚悟と準備が充分できたことは伝わったに違いありません。
 
3/20(水)祝日
 この状態がいつまで続くんだろう? ネットで危篤について調べていると、危篤から復活して、を繰り返すこともありそう。毎回危篤だと連絡が入ると遠くからも親族が集まるものの復活、これを十回以上繰り返し、おばあちゃんは危篤詐欺だったという記事を見つけたりもしました。
 この日の午後、飲まず食わず酸素も入れず100時間が越えました。「いつお迎えがきそう?もう充分がんばったよ」と母に声をかけますが、相も変わらず息をしています。父は、最後にオレにこんな意地悪をするとは、、、なんて言い始めていました。毎晩朝起きたら母が息をしていないかもしれないと思いながら四晩、ベッドをふたつ並べた部屋で寝ていた父も、そろそろ限界そう。
 夕方、施設を後にし、家に戻ってご飯を食べていたら、19時過ぎに父から電話。「息が止まった」
 20時前に施設に行くとすぐに訪問診療のお医者さんも来て死亡診断をしました。施設の方は慣れていてすぐに違う場所に母を移し、身体を拭いたり、口が開いたままにならないように顔にベルトのようなものをつけたり、と遺体を移送する準備にとりかかりました。その間に葬儀屋さんに電話をしたら、21時半に遺体を搬送する車が到着しました。
 飲まず食わずで100時間を超えた母の危篤状態がここで終わりました。今思うと、涙を流し過ぎないよう、覚悟と準備をするために、母がくれた執行猶予みたいな不思議な時間でした。
お母さん、ありがとう💐