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先日、山口県周南市に用事があったついでに、映画「出口のない海」の舞台になった、大津島にフェリーで渡りました。

そこで「人間魚雷回天」の基地跡や資料館を見てきました。

 

 

徳山港からフェリーに乗り潮風を受け、美しい島々を見ながら、初夏の瀬戸内海を進みます。途中停まる島ものどかな風景で心が和みました。

 

 

いよいよ目的地、大津島についてフェリーを降りると猫ちゃんたちがお出迎え(写真は撮り忘れました。)してくれました。

目の前に大きく「回天の島」という看板が出ています。

 

ご存じの方も多いと思いますが、戦争末期、兵士が魚雷に乗って敵艦に突っ込むという特攻作戦がこの島で訓練・実施されました。それが「人間魚雷回天」です。

生還の可能性のない兵器に乗って、自分の命と引き換えに国を守ろうと、多くの若い兵士が船でこの島から旅立っていきました。

 

最初は資料館へ向かって歩きます。「人間魚雷」の訓練が行われていたとは想像がつかないぐらい、緑豊かなのどかな島です。素敵なカフェや小学校などを通り過ぎて、ところどころ説明看板がある順路に沿って歩きます。

 

 

 

 

当時から変わっていないというコンクリート壁、その両側に青々とした葉っぱや花が咲いていました。その中をどんどん歩いてゆくと、美しい自然の奥にある昔の戦争の時代へタイムスリップするかのようです。 

 

 

 

 

しばらく歩くと記念館につきました。入口正面横にある犠牲になられた方々の碑と、その隣にある「人間魚雷回天」の模型。思ったより大きくて驚きました。

 

 

中に入ると犠牲になられた「烈士」の方々の写真がありました。遺影の主はほぼ20歳前後でしたが、まだ10代の方も何人もいて、精悍さの中にもまだあどけなさが残る表情でした。

何人かは「七生報国」と書いてある鉢巻きをしていました。これは「何度生まれ変わっても国に尽くす」という意味だそうです。

亡くなられた方々の遺品、手紙などが展示ケースに飾られていました。もちろん、手紙の内容は個人によって様々ですが、皆残してゆく家族を心配しながらも「自分の事は大丈夫だから心配しなくてよい。」「自分が出撃(戦死)した後も頑張って生き抜いて欲しい。」といった切実なものでした。

結婚したばかりの妻や、幼い兄弟などに宛てた手紙もありました。

 

そのあと、基地跡を見に行きました。長い海へ続くトンネル、(当時はレールが敷かれてトロッコで魚雷を運んでいたそうです)このトンネルをどんな気持ちで歩いていたのでしょうか。途中で海に出られる場所があり、きらきら光が入ってきていました。(ここは空襲時の指揮所だったそうです)その長いトンネルにもパネル写真があり、出撃する兵士の様子などが紹介されています。

 

 

 

 

 

その長い長いトンネルを抜けると、海に突き出した基地跡でどんな風に訓練が行われていたか、パネルで説明されていました。

釣り人が釣り糸を垂らしている、のどかな海の風景。

穏やかできれいな海を見ながら、実際の緊迫した場面は想像もつきませんでした。

戦争中自ら志願した、たくさんの高校生~大学生ぐらいの若者たちが辛く厳しい訓練に耐え、「家族、地域、国を守るため」命を犠牲にして出撃したことに思いをはせると、その旅立った海を目前にして、胸がいっぱいになりました。

 

 

 

 

 

 

戦争や軍隊がよいとは全く思いませんが、この時代の若者が今の日本を見たらどう思うのだろう、という気持ちになりながら帰りのフェリーに乗りました。