SNS上では「チームにも属していない一選手が、どうして記事になるのか?」 そんな懐疑的な意見もあった。子供の頃からオリンピックをめざすようなエリートや、競技を数字の成績だけで見ている人には理解できないかもしれない。

 しかし、つい5、6年前までは「世界をめざす」なんてことは200%あり得なかったし、親として妄想でしかなかった。

 

 サマーグランプリの時の朝日新聞、開幕戦の時の日刊スポーツ、そして度々取り上げてくれる毎日新聞。ありがたく大きな後方支援であることはもちろん、これが競技の世界だけではなく、社会一般的な評価であると考えている。

 練習環境に恵まれず、コーチもいない。

 子どもの頃から体力的にも人並み以下だった。

 それが、良い指導者に育てられ、数は少なくてもずっと支援してくれる人たちがいる。30歳という超遅咲きが世界が目の前に見えるようになってきた。

 

 支援してくれる人がいる限り、息子は辞められないだろう。

 

 

 

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‥こうした状況を「国体傭兵(ようへい)」とも表現する内藤選手は「うまくかみ合えば全国に選手がいて、競技の関係人口が増える。選手には『この地でも頑張りたい』という情熱が必要。お互いが『お客様』と思うのではなく、いい意味のウィンウィンの関係になれば」と期待する。‥(引用終わり)