ミュンヘン🇩🇪滞在2日目

 午前中に地下鉄、トラムを利用してオリンピックパークへ行く

 

 

 1972年は冬の五輪が日本の札幌、夏がこのミュンヘン。

中学生だった自分にとって、ジャンプファンになるきっかけとなった年でもある。

 

 

 同時に平和とテロの問題について世界中が震撼するミュンヘン事件が起きたことも忘れられない。(日本では連合赤軍による浅間山荘事件)

 

 

 エンターテイメントの巨匠スピルバーグは、ナチスドイツによるホロコーストを『シンドラーのリスト』で映画化し、アカデミー賞を始め世界中の賞賛を受けた。

 しかし、そのスピルバーグが後に手がけた映画は、ミュンヘン事件後のパレスチナゲリラに対する、イスラエルの国家的報復の暗部を描くもの(映画『ミュンヘン』)で180度視点の変換に世界中が驚愕した。

 スピルバーグがなぜ、イスラエル批判の映画を制作したか、ずっと疑問だったけれど、昨今のガザ地区への弾圧、戦闘の中で「自国の平和維持のための戦争」という命題について考えざるを得ない。

 

 ここはサッカーW杯が開催された地であり、サッカーファン垂涎の地でもあるのだけれど、札幌五輪開催を諦めた後だけに複雑な気持ちもあった。

 なお、ミュンヘンは2018年の冬季五輪誘致で韓国平昌に敗れたが、地元では50年後の街づくりを考える機運が生き続けている。