なぜ、スノーボードをやっていないのにわざわざ新潟まで行ったかって・・?

 それは東野圭吾さんは恩人のひとりだからです。

 

 

 

 2005年11月 出版社より電話があり、作家の東野圭吾さんが東京調布ジャンプ少年団を取材したいという。突然の電話だったので本当に驚いた。スキージャンプを題材にした『鳥人計画』はもちろん、『手紙』などの社会派の小説はお気に入りだったから私は浮かれた。ところが、妻の反応は予想外のものだった。

「片付けもしてない家にそんな有名人は入れられない。」断固拒否だった。それもそうだと思い、結局、アパートの集会室を借りて取材を受けることにした。

 東野圭吾さんは同い年だが、身長も高く精悍な顔つきで作家らしからぬスポーツマン的風貌だった。人柄もとても穏やかだ。

 気さくに仲間のように話ができれば・・と思い、ビールを用意したのが失敗だった。私が酔っ払ってしまったのだ。😰

 東野圭吾さんの短編の中に『一徹おやじ』というのがある。一徹と言うのは巨人の星に出てくる星一徹の事だ。(ネタバレあり)自分の息子を野球エリートとして厳しく育てたが、相棒のキャッチャーを愛してしまい家を出ると言うオチ。

 「東野さんから見ると、私は『一徹おやじ』みたいですかね。」訊ねると東野さんは苦笑いしながら「いやいや・・そんな風には思ってませんよ」と答えた。当時、外見の印象だけで揶揄する輩が多かったから、その答えにすっかり気を良くしてしまった。・・で、喋り過ぎたのだ。

 東野さんが帰られた後、妻に「喋り過ぎ!ありゃ、ゼッタイ没だね。」と言われ落ち込んだ。

 ほんの数行載ればいいや・・と諦めていたところ、数日後に編集者の方から興奮する声で電話があった。「内藤さん、大変です。東野先生がこの間の取材のこと何ページも書かれています!」編集者の人も没になると思っていたんだろうな。カラーページで全国の少年団の活動も紹介されており、取材の時の私のミーハーぶりまで詳しく書かれていた。

 雑誌が出版された二ヶ月後、東野圭吾さんの『容疑者xの献身』が直木賞を受賞した。ただのファンというより家族で躍り上がった。息子達も私も大いに励まされた。

 長男は、その冬、初めての東京都代表としてインターハイ、国体出場。そして大学では慶應義塾大学スキー部の37年ぶりの1部昇格の主戦となった。

 二男は、大学に入ってからめざましい成長を見せ、社会人になってからは全日本A級大会9勝と、一流ジャンパーと言っても恥ずかしくない。

 息子の現役のうちに、是非、東野圭吾さんに間近で息子のジャンプを観てほしいと思っている。

 東野さんは、七度目の挑戦で直木賞を受賞した時「どんなもんだ!」と思ったそうだ。良い意味で同じ事を東野さんに言ってみたい。

 また、東野さんはスノーボードの大会を開く意図として、次のように述べている。

 恩返しで息子を観てもらうと言ったら、何やら浪花節に聞こえるかもしれないが、自分達のような地味〜な存在を取り上げてくれた先見の明が今の御活躍につながっているのではないかと思っている。