久しぶりに教会のミサに行った。以前は毎週のように行っていたが、コロナで行けなかったのがきっかけで遠のいていました。

日々のお祈りは欠かさず、感謝しながら生きている事に変わりは無いけれど教会に行くのが遠のいたことは確かです。

ボランティア的な仕事を2つもしていると、本格的に忙しく教会に来れない言い訳みたいな事を教会の唯一の友に言っている自分がいました。

 友はカトリック教会の信者会の会長をしています。今2期目をしていてとても大変そうだった。私が民生委員をと自治会長を兼務している事話したら、彼女は民生委員は大変だねとい言った。彼女は6年したと言ったので私は消え入りそうに恥ずかしかった。

何時も普通に謙虚にふるまっている彼女の器の大きさに帰途、運転しながら恥ずかしさと、自分の愚かさに穴があったら入りたい心境だった。 

 私は洗礼を海外で受けて厳粛な洗礼式と、華やかなお祝いをしてカトリック教徒の国ならではのセレモニーは私に強烈な感慨と喜びをもたらしてくれました。然し日本の信者は余りフレンドリーでは無く、とっつきにくい感じがして、私は何年たっても馴染めません。外国はそこにいる人だれでも話しやすい感じがします。もっと日本の信者は教会に来た人にウオームハートで接してあげたら信者がもっと増えると思います。もちろんウオームハートなんだけれど、日本の教会はとっつきにくい感じがします。

私は18歳の時にカトリックと出会い74歳に至りますが、いろんな国に行きカナダやセブに短期留学をしたから日本の地味な活動、信者の目立たない活動が気になり馴染めないのかもしれません。もっとカトリック信者が増えて欲しいと私は思っています。

 そう思いながら何もしていない自分がいます。恥ずべき私がいます。