農ある暮らしとは、「暮らしの中に少しの“農”を取り入れて豊かな生活を送ること」である。そして、ここで言う「農あるくらし」には、高齢化社会での生き方にもつながる要素があるともいえる。それは、「 自分で種を蒔き、自分で育て、自分で収穫をし、自分で料理をして食べる生活である」と言うことで、そこには、「居場所があり」「役割があり」「目標があり」「その目標を達成することの収穫と言う成果があり」「その成果が家族や自分への食の広がりに誘ってくれる」 そんな「農あるくらし」を始めてから凡そ20年になる。「きょういくと きょうよう のある畑仲間の会」と言う会を組織した。
この名前は言い古されてはいるが「今日、行くところがあり」「今日、用事がある」という、高齢者の日常の暮らし方に思いを抱いたものであることは言うまでもない。この会の会員は総勢13名が所属し、会として空き農地を借り、それを一区画づつ分担して会員に耕作をして貰うというもので。かくいう私がこの会を主宰している。
野菜づくりは一見、のどかな繰り返しに見えるかもしれないが、実際は、毎年の気象条件、土の状態、苗の生育状況などが異なり、前年と同じやり方が通用しない世界でもある。播種の時期や水やり、追肥のタイミングといった細部においても“今この瞬間”に最適な判断が求められる。まさに農とは、「変化との対話」であり、「毎年が一年生」と言っても過言ではない。
そんなことから、この農あるくらしの経験は、人生後半の生き方にも深く重なるものがあると思っている。すなわち、高齢期には、心身の衰え、伴侶との別れ、社会の変化に伴う価値観の揺らぎなどで、様々な喪失や変化が訪れる。それは、否が応でも向き合わなければならず、それを乗り越えてこそ生きがいある暮らしを築く鍵にもなっていく。私自身、50年連れ添った妻を喪い、大きな喪失感の中で、生きることすら疑われるほどの時期もあったが、息子夫婦や娘からの励ましと共に、周囲や畑仲間からの支えによって少しずつ立ち直り、再び土に触れるようになり、収穫したものを自分で料理し、それを食し、生きる力を取り戻してきた。その意味では、「農あるくらし」そのものが、私にとっての希望の礎だったような気がするのである。自然と人を、人と人を結び、心を耕し、命を輝かせる・・、「農あるくらし」には、そんな力があるとも思っている。変化を恐れず、小さな挑戦を積み重ねること、その中で人とのつながりを温め、自分の心と体を耕していくこと。そんな生き方を、私は「農あるくらし」を通じて体得したように思う。
そして今、「自律して自立する 活きて生きる それを楽しむ そして前へ」という私のモットーが、確かに日常の中で息づいていることを感じてもいる82歳にならんとする高齢者真っただ中にいる私である。
温度計は35℃を指している。
まさに真夏日真只中。
そんな中で何とも爽やかな「初雪草」が我が家の庭で満開である。
一年草ではあるがその種が地に落ちて繁殖をするので世話が掛からない。
原生地は北アメリカのコロラドで、その花言葉は三つある。
その第一は「祝福」で、雌花を囲むようにたくさんの雄花がブーケのような形態をとっていることが由来のようである。
その第二は「穏やかな生活」で、雪に覆われた葉に隠れつつもリンとしたその佇まいが穏やかで幸福な暮らしを暗示しているかのようだと言うのが由来のようである。
その三番目は「好奇心」で、「冬」をイメージさせる植物なのに「夏」にこそ元気に咲く活発な植物!、そのギャップが「好奇心」という花言葉となったのが由来であると言う。
1年3か月ぶりにジム通いを復活した。
一応、大学卒業に目途がついたこと、
落ちてしまったゴルフの腕を復活したいこと、
「史跡ガイド」になって、歩くことが増えること、
「健康・生きがいアドバイザー」としての活動に参画すること、
畑の耕しに時間がかかるようになってしまっていること、
などなどが、その動機である。
内容は、主にバイクを利用したもので、これが結構ハード・・・
まだ、復活3日目だが、なんとなく筋肉が締まったような・・・
3日坊主にならないよう、楽しみながら、
新たな目標に向かってチャレンジしていきたいと思っている。
