2011年に国連総会で採択されたのだそうだ。性別と年齢の二重の差別を受ける途上国の女の子たちの特有な問題に焦点をあて、その解決にむけて世界各国が取り組むよう、啓発し訴える日だ。


女性だから10代で結婚せざるを得ない、女性だから肌を出してはならない、女性だから教育は必要ない等々、女性だからという理由で多くの差別がなされている。


途上国だけではない。日本でもまだまだ差別はあるように思う。国会議員の女性の数なんて、国会中継を見れば一目瞭然だ。また、時折、先生と呼ばれる議員が女性への差別発言をなさる。

ここから変えないといけない。


女性蔑視に繋がる古い慣習はシュレッダーにかけるべきだ。

いつだったか、妊婦が満員電車に乗ったとき、場違いなときに場違いな人が来てはいけない、ということを聞き捨てならない言葉で言ったオヤジがいた。


そういうことなんだと思う。平等だ、同権だと言いながら、具体的な考え方や言動、マナーについての教育が為されていない。

だから、確信犯的な言動がまかり通る。


ぼくは、日本の文化水準は高い方だと思っている。が、思い遣りや優しさを言語化するのが下手だから、誤解を招くことも少なからずあるのだろうとも思う。


既に国際社会の世の中だ。女性だけではなくLGBTQなどのマイノリティを特別な人とせず、つまり多様性が当たり前に思える、人と社会を作らなければならない。


なんて、

偉そうなことを言ってるけれど、ぼくの普段の言動に差別的な要素はないとは言い切れまい。

相手が我慢してくれているのかもしれない。なにしろ、ぼくは今でも、妻へのあれやこれやで怒られるのだから。