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『心の実家サロン*KATARINE*』でセラピストをしています。
 
 
セラピストと書きましたが、あなたの心の声に寄り添う
お母さん、お姉ちゃん、おばあちゃんみたいな存在です。
 
 

 

毒親に育ててもらった子ども時代

 

 

今となっては親には感謝している部分もあるし、親の幸せを祈っています。

そのことを踏まえて読んでください。

 

 

 

未熟な親との閉鎖的な家庭環境下で、褒められた記憶はなく

否定され、規制されて育てられました。

 

 

 

父親が毒父で(彼には彼のそうなった原因があったのだと思います)

「女は勉強するな!」と言われ「女のくせに」「女はアホや」が口癖でした。

 

自己否定でDVな父親でした。

 

 

そのくせ、女の私に特別な感情をもち性的対象にされた経験をもっています。

異常な家庭環境だったと思います。

 

 

母親はそんな父に逆らえず、見ない、聞かない、言わないを貫き

(母もその環境にマヒして生き延びていたんだと思います)

私を守ってはくれませんでした。

 

 

もちろん、普通に子どもに対することをしてくれた部分もたくさんあります

結婚するとき、子どもが生まれたときにはお世話になりました。

 

でも、それとこれは別で「だからなに?!」と思えるようになりました。

 

 

親とは距離をとり、父親とは会っていません。

 

 

親に感謝できない私はダメだと苦しんだ時期もありました。

仲良くしている家族を羨ましく思う時もあります。

 

 

和解しようと試みたこともありましたが、無理でした。

だから、今は死んでから和解できたらラッキーだと思っています。

 

 

 

自己否定MAXで生きづらかった

 

 

 

そんな環境下で育ち、自己肯定感など育つはずもなく

自分が嫌いで「自分なんて・・」という思い常にありました。

 

 

結婚し、子どももでき、普通に見えていたと思いますが

正体の見えない「生きづらさ」「不足感」を抱えて生きていました。

 

 

 

心の勉強をはじめる

 

 

このままでは、子どもたちに悪影響しかない・・

特に長女に自分を投影し、否定的な言葉を吐いてしまうことで

ますます自分が嫌いになっていき苦しかったです。

 

 

なんとかしよう、この心の正体を知りたくて

心の勉強をはじめました。

 

 

女性たちの語り合いに参加したり、カウンセリング講座を受けたり

コーチング・NLP(神経言語プログラミング)・心理セラピーを学びました。

 

 

その中での出会いの中やセッションで、自分が誰にも言えなかった話を語り

聴いてもらう体験を通して、自分で蓋した感情に気づき分かち合えた分だけ、

心が軽くなんだと思います。

 

 

自分ごとのために学んでいたのが、いつしかそれを使えるようになり

教えるようになっていました。

 

 

 

夫との離婚

 

 

心がこじれてた私が引き寄せた男性だった夫と、私の心のこじれが修正された分だけ

ひずみが生まれていったような気がします。

 

そんなギクシャクした関係も乗り越えようとしまいしたが、無理でした。

毒父に育てられた影響で、近寄ってくる男性が苦手で。

 

「男性は私を傷つける」「どうせ男なんて・・」

 

そう信じていました。

 

強く信じてる通りの「現実」があらわれるという宇宙の法則通り

その現実が具現化され、別れました。

 

 

強く信じている男性に対する否定的な思いが消えない限り

どの男性と付き合おうと同じ現実があらわれることを察して

 

 

自分の心の歪みがなくなるまで、男性とは付き合いたくないと思いました。

これ以上、男性との関係で傷つくのが嫌だったんだと思います。

 

 

元夫は私の大きなトラウマを解消してくれた人でもあります。

(また、その時の話はしますね)

 

そして、私に3人の子どもたちと会わせてくれた。

だから、とても感謝もしています。(クズ男ですけれどね・・笑)

 

 

 

ひとり親で3人を育てた

 

 

 

女性支援・障がい者の就労支援などの職に就き3人を育てました。

身近に相談できる人がいなくて、子どもの問題を一人で抱えしんどかった。

 

 

副業ではじめたセラピストやコーチングのお仕事と、スピリチュアルリーダーを招いたイベント企画が軌道に乗り、本業をやめフリーランスになりました。

 

 

こうして自分事の延長線上にあった仕事を通して、自分の心に向き合い

少しずつ自己肯定感を取り戻していきました。

(何十年ものの自己否定が、簡単には消えないのが現実です)

 

 

 

学びやスピリチュアルから離れて沖縄へ

 

 

 

 

 

それまで築いてきた仕事の仲間や関係性を、崩してしまいました。

人との信頼関係を築くことを知らない未熟な私の浅はかな行動でした。

 

 

そんな時、仕事で訪れていた沖縄に縁ができ、沖縄・宮古島に住んだり

FM那覇でラジオ番組のアシスタントをさせてもらったりして

 

 

沖縄で住む家ができ、自然な流れで沖縄移住することになりました。

 

 

あきらめていた車の免許をとり、沖縄の自然のなかで自由で安心した日々が

私を育てなおしてくれたと思います。

 

 

そして気が付けば自己否定的な私は消えていました。

 

 

 

和歌山移住と『心の実家サロン*KATARINE*』

 

 

2022年の夏

 

沖縄での仕事が終わりをむかえ、関西に戻ってきてきました。

数か月、娘夫婦の家にお世話になりながら、北海道と和歌山を旅する中で

以前からつくりたかったサロンをしようと決めました。

 

 

私が欲しかった安心して「ただいま~」って帰れるお家

 

 

沖縄の久高島にある、私にとっての心の実家。

 

 

「ちばい小」という1日ひとり限定のお宿

70歳になるじゅんこさんがひとりできりもりされている。

いつでも「おかえり~」って言ってくれる、そんな場所でした。

 

 

私も誰かのそんな場所になろう

 

 

自然が多い田舎がいい。

小さな平屋のお家を探し、ここ和歌山で家を借りることができました。

 

 

まずは、私が居心地良く住もう

 
 
 

 

昔のおばあちゃんのお家みたいなこの家が私のお城です。
 
今まで一人暮らしをしたことがなく
不安もありましたが、今はひとりの心休まる毎日を過ごしています。
 
 
子どもの頃から、父親の言動に敏感になり
人一倍、他人の感情を察知するアンテナがたっていたから
誰にも気を遣わず、自分だけと過ごす時間を楽しんでいます。
 
 
『心の実家サロン*KATARINE*』は、私の心の実家です。
 
 
この私の心の実家に、「ただいま~」って帰ってくる人たちと
ここから心の家族を紡いでいきたいと思います。
 
 
 
森松明子 1965年4月生まれ
好きな言葉 「なんくるないさ~」「ケセラセラ」
 
 
 
 
 

 

 

有機野菜・無添加食品の宅配ネットスーパー【らでぃっしゅぼーや】