自分の人生自分のために生きたいじゃん?
楽しく自由にさ。縛られた日常なんてつまんない。
確かに今もそう思う。どこでもいいからとりあえず安泰を壊せるような異境の地に行きたいなとか。
好きなことやって奔放してさ。
でも、自由には迷惑が伴う。それを調和して立っていくのか、反発して起きるのか。
まだ見えない選択肢でも岐路には差し掛かってきた。
今はまだ自分のことで精一杯。
それってすごく逃げに近い言葉。
だとか思いながらも現実そうなんだよね。
なおさら、一瞬一瞬を無駄にしないで生きようと思ってたの。
楽しく自由に気ままに生きるためにね。
逆境は大好きだから、簡単なことでへこたれないよ。私だからこそできる生き方を模索して。
そんな風に思考を巡り巡らせ過ごしてる日々は満ちていて幸せで嬉しくて楽しくて恵まれてるなぁと実感している。
実感するたび、世界を見てたら悲しくなったりして。笑い合えばいいのに。手を取り合えばいいのに。安直だけどそんなこと思っては願うんだ。
人にはマイナスも必要だから取り払いたいなんて考えないけれど、それ以上の許容範囲を越える膨大なマイナスは抱える必要ないよね。
憎しみも哀しみも妬ましさも苦しみも痛みも疎ましさも怠さも辛さも怒りも。
はみ出てしまったそれは私だけが背負えばいい。私に向けられればいい。
理不尽で勝手な何様目線かも知れないけれど、心から笑っている世の中を見たかった。
人は好き。でも、私のいる世界の人間はまるで無機物。
暖かいのはオセロみたいに冷えていく。
若芽の私は思うことだけは流暢で、まだ小さすぎる。
何ができるかな、何をしようか。
悶々と。
あ、もちろん私にもマイナスは存在するわけでたまに均衡を取れなくなる。
天秤の上でプラスが勝るように重石を乗せていても、マイナスが重量を増やしてしまったりして。
正義は善、悪も善とする世の中なら双方でのアクションは赦されるのか。
分かっていても、規準さえなければ狐にでもなっていたかもね。
ふとしたときに思うつまんないに意味はなくて、ただただ一定化した毎日に刺激が欲しいだけ。
今日もこうして一日が終わる。明日も明後日もその次の日も。そうやって一度きりの一生を浪費していくのかと考えるとなんだか陳腐なものに感じて一気に興醒めした。
だから求める自由のために少しずつ足を踏み出していたりする。どんなに些細なことでも武器になる。必ず。無駄なんてなくて、ネットワークの通信網みたいに繋がってる。
好きすらも億劫に感じたらそれは自分を否定していることになる。好きだからこそもっともっとって貪欲になるんだよね。
…意外と欲張り。それに気付くはず。
想像するだけでわくわくするのは、そうゆう未来があるから。
不安になるのはそのための努力が足りないから。
簡単に考えたら気楽。その方がいいでしょ。
保証のない明日に期待するより、今日をもがいてでも大切に生きた方が合理的で美しいものかもよ。
灯台もと暗し。
身近なものに人は気付かないもの。
溢れている感情に耳を目を傾けて、触れてみたら変わるかもよ。
晴天。
雨も好きだけれど。
今日も生き抜こうか。