宝積寺 | クロウの一言

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見直す暇もなく、ブログ消滅真際のどさくさに作ったヤフーブログからの続きです。

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聖武天皇が夢で竜神から授けられたという「打出」と「小槌」打出と小槌は別のものを祀ることから「宝寺」たからでらの別名があり、大黒天宝寺ともいう。
ここが天王山の戦いのときの秀吉の本陣だった。
光秀の方は、大阪成蹊短大の敷地の中で建物は立命館に移築されているという。またの日にこの辺を歩いてみたい。




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寺宝を多く有しており、建造物では桃山時代に秀吉が一夜で建てたと伝えられている「一夜の塔」と呼ばれる三重搭が重要文化財に、本堂及び山門は京都府の登録文化財に指定されている

桜のこの季節に人が少ないのには驚く。






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閻魔堂

閻魔王及び眷属像(重要文化財) - 閻魔堂は鎌倉時代作の閻魔王坐像(像高160.9cm)、および閻魔の法廷で書記を務める冥界の役人の司録像(像高143.6cm)、司命像(像高122.4cm)、倶生]像高114.5cm)、闇黒童子(暗黒童子)坐像(像高110.5cm)の5躯の木像を並べて安置し、地獄の法廷を再現する。これらの像はもとは天王山西麓にあった西観音寺(大阪府島本町山崎5丁目にあった)に安置されていたもので、明治の廃仏毀釈で西観音寺が廃寺となった後、宝積寺に移された。
ウドペキアから





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千年桜
桜の枝が伐られていて、随分弱っている。
何とか生き残って欲しい。






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本殿
宝積寺ほうしゃくじは寺伝では神亀元724年に聖武天皇の勅命を受けた行基菩薩が建立したと伝えられる真言宗の寺院


やっと、本殿についたという感じ。
ここは少しだけ賑やかだった。僧侶が着飾られているところ見ると行事でもあったのかもしれない。





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かすみ桜系の枝垂桜だと思うが木の肌からかすみ桜の花を咲かせているのは、はじめてみる。
ずーと気になっていた山崎の合戦の戦場のあとをつぶさに頂上まで見ることが出来何よりもよい一日だった。また、「蛤のご門」の変とか幾たび戦いに巻き込まれ地であることも知った。
櫻が美しく、よい一日だった。