今、中央市民病院の待合室にいます。

先日受けたゲノム検査の結果を聞きに来ました。

もし、遺伝子の特性で、使える可能性がある薬がみつかれば、即、治験にすすみます。

治験にすすむということは、ラストワンになった薬以外にも使える薬があったということ。

ただ、その可能性は1割以下。
しかも、治験の効果が、よくでるか悪くでるかわからない。

しかも、入院してするのか、副作用がどの程度あるのかわからない。

今は元気でなんでもできるけど、入院したらそうはいかない。副作用がきつければ、そのダメージは図りきれない。しかも、
治験の結果が、やらない方がましだったってことになるかもしれない。

正直、不安である。

なぜ、私は1人でここにいるの?
こんなに心細いなら、主人に来てもらえばよかった。

そんな心持ちでいたとき、思い出した台詞がある。

20年ほど前、姫路のこどもの館でやった、今は亡き如月小春さんの「ピンクの魔女」という作品だ。

魔女の訓練生が人間界にきて、騒動を巻き起こす話。

その中で、ピンクの魔女が巡りあったのが、タクという少年。その子は輸血により、治らない病気にかかる。

お見舞いにきた少女は、心配し会いたいと思うものの、病気が怖くてタクにちかづけない。

そんな少女に理解を示しつつ、タクはもう会わないでおこうという。少女をこれ以上苦しめたくないという思いからだ。

なぜ、ととう少女に。
「ぼくは、今も元気で、何も変わってはいないのに----」と答える。

そう、今は元気で、なにも変わってはいないようにおもう。でも、これからも未来があるであろう少女と、これから、かならず弱っていき、近い将来、死んでいくであろう少年との間には、いままでになかった距離がある。

今は元気で、全くかわってはいないのに、でも、近い将来----

この無念さが胸にせまる。

しかし、新薬ができ、その病気がなおるまで、魔法で命の時間をのばそうという魔女の提案をタクはことわる。

「いつ終わるとは分からない命をびくびくしながら生きるのは、耐えられない。いくら長くても、それは、灰色の時間だ。ボクは、短くても生き生きとした、ピンク色の時間を生きてみたい。」という。

全く、同感
今になって、20年前の芝居に励まされています。