努力します、頑張ります、この手の言葉は必ずどこにでも存在し、誰もが一度は使う言葉だろう。

では、努力とは、頑張るとは何か、本気で考え実行する人は日本に何人存在するだろう。


まず、努力とはあくまで主観的発想だと思う。結果のない努力は努力とは言わない。良いにつけ、悪いにつけ、結果あってこその努力。俺はそう思う。

プロセスを誇るようになってはいけない、努力したと自分で思っては本末転倒だと思うからだ。

では、頑張るとは何か。

良く、○○の為に頑張るとか、○○さんが応援してくれてるから頑張れるとか、何かに責任転嫁をするような言い回しを使う方も多い。

頑張るのは人の為じゃない。
自分のためにするものだろう。
誰かに何かを押しつけるような頑張りは決して頑張りではない。

頑なな気持ちがそこにはないからだ。


では、誰にも誉められず、ただ自分のためだけに生きるのが正解か、というとそうじゃない。
俺が言いたいのは何を努力しようと、何を頑張ろうと、見返りを求めた時点でそれには純粋さがなくなるということ。

頑なになるほど頑張るのはその頑張るある事が好きでなければいけないと思うし、好きでなければ好きになる努力をしなければならないと思う。

結果が最悪だったとしても、なにも無いより余程マシだ。

なんべんもなんべんも苦悩して、挫折して、それでも諦めずやり遂げる。


誰になんと言われようと譲っちゃならないものがある。

だから、逃げるな、俺



ぱぱ



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