●大日本帝国最後の四か月~終戦内閣“懐刀”の証言 @迫水久常 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

終戦前後、街に貼られたビラには
「日本のバドリオを殺せ!
鈴木、岡田、近衛、迫水を殺せ!」  とある。
3人の首相と並列で名指しされた迫水さんは
若手の大蔵官僚。銀行保険局長だった。


その人が終戦の年、4月から8月15日まで
鈴木貫太郎内閣の書記官長、今の官房長官に
抜擢され、鈴木総理に成り代わって
演説原稿を書き、内閣の実務を取り仕切る。


なんと42才の若さ。
皆が知ってる終戦の詔勅(玉音放送)だって
漢文素養のある、彼が書いたものなのだ。





迫水さんは岡田啓介海軍大将の娘婿。
2・26事件で襲撃された、時の首相たる義父
を、反乱軍の目を欺く機転で救出した。


岡田さんは、鈴木終戦内閣 産みの親だ。
でも、政治に不慣れな鈴木貫太郎さんは
電話の掛け方も覚束ず、組閣も見当違い。
「ワシに軍需大臣を要請するとは全くダメだ
古くからの親友だから、キミ行ってくれ」、
と、スーパー能吏・迫水を送り込むワケ。


以後、迫水さんは何かと岡田さんに
相談を欠かさず、終戦に関しての工作は
大部分を岡田大将の指導によった、という。

岡田啓介は元連合艦隊司令長官の海軍大将。




貫太郎さんはいつも、迫水さんの演説原稿を
チェックもせずに棒読みし、
細かな進言も、そうだね。と受入れる。
スタッフを信じ、任せっきりなんだが、
別人のようにキビキビと指示命令し、
迫水さんを驚かせたことがある。


ひとつは、組閣二週間後、
陸軍と海軍が不仲すぎるので、双方を呼び
懇談したんだ。    一言も発せず、
全く打ち解けない両首脳たちに対し、
貫太郎さんは、西南の役まで遡って
陸海軍の歴史から、詢々と説諭したそうだ。
海軍兵学校長、連合艦隊司令長官を歴任した
老提督のお説教は、たぶん、効いた。

海軍大将・鈴木貫太郎=「水雷の鬼貫」
昭和天皇の「大侍従長」、2・26では銃弾4発。





もうひとつは8月13日、
ポツダム宣言受諾する前に、国体護持の可否
を再照会せよ!と陸海軍が強硬にゴネた時。
貫太郎さんはいつもと全く違う強い態度で
会議を仕切り、普段発言しない意見を述べ、
強引に受諾へと、引っ張っていくのだ。


ここから先は涙なくして読めない
鈴木内閣、世紀のファインプレーの連続だ~

海軍大臣は米内光政以外考えなかった、って





東郷茂徳外相は、連合国側に再照会をしろ!
と迫る陸海軍に一人で対峙し、あくまで
冷静沈着に「出来ません」と屈しない。


阿南惟幾陸相は、「会議は君達の要求方向に
向かっとる。待っていろ!」なんて陸軍省に
電話して全く逆の事を言う、渾身の腹芸。

東郷茂徳外務大臣の奥さんはドイツ人。




さらに迫水さんの機転も連続フル回転する。


業を煮やした大本営の若手将校が
「13日午後4時、日本は米英ソ支四か国に
対し、新たな作戦を開始致しました」  なんて
物騒すぎる偽の大本営発表を用意したんだ!
迫水さんは仰天し、これをぎりぎり3時半に
阻止! マジで日本破滅の30分前。


受諾が遅れると、次は東京に第三の原爆が
落ちかねない。   迫水さんは独断で
「政府は受諾の方向」と海外向けに放送させ
怒り狂った陸軍将校に吊し上げを喰う・・・

迫水久常さんは、戦後議員になって
池田勇人内閣経済企画庁長官など歴任。





そして、迫水決定打ホームラン!

「二度めの御前会議は、大変異例ですが
天皇からお召の形にしたらどうでしょう、
参加人員も閣僚全員、平沼枢密院議長も
加えたらどうでしょう。」
と、正に日本を明暗を決することになる
世にも重大な献策をするのだ。
これで終戦は決まった。



公式には8月14日23時に戦争は終結した。

阿南さんは「混乱を防ぐために、発表は
夜が明けてからしてくれ。最後のお願いだ」
と言って、未明に割腹自決を遂げる。
暴発寸前の陸軍を沈黙させたんだ。。

阿南惟幾陸軍大臣は、侍従武官時代、
侍従長鈴木貫太郎と共に仕事した旧知の仲




迫水さんは最後に、
「いまだかつて、鈴木貫太郎ほどの大人物に
会ったことはない」、と振り返る。


貫太郎さんも阿南さんも、
暴発寸前の陸軍を押さえるには、
戦争遂行!本土決戦!の姿勢をギリギリまで
見せる事が必須、との戦略で
時機到来まで、見事な「腹芸」を貫いたわけ。


天皇陛下、鈴木貫太郎、東郷茂徳、米内光政
阿南惟幾、、この五人がいなければ
日本民族は地球上から抹殺してされていた
かもれない、と、迫水さんは言うけれど、

いやいや貴方も間違いなく、
日本を救った英雄です。迫水さんありがとう!



【終戦の詔書】
「万世の為に太平を開かんと欲す」、の言葉は
長年の師、安岡正篤に訂正してもらった。
迫水さんの原文は
「永遠の平和を確保せんことを期す」だった。