鎌倉も近いし、なかなかの歴史ある町で。
各小町内毎に山車小屋を持ち、
何やら古くから受け継がれるお作法により
盛大に行われるお祭りがある。
でもそれが、何故か 「諏訪神社例大祭」 で。
遊行寺、白旗神社はどどーんと立派なのに
当の諏訪神社は、どこにあるっけ?って位
狭く、小さく、素朴すぎる、目立たぬ場所に
ひっそりと。。小さすぎて不思議。てか怪しい。。
そういえば「諏訪神社」ってあちこちにある。
諏訪じゃないのに、なんでかね~?
、、ったら、全国に25000社もあるという。
最近読んだ本で、
天孫族に国を譲った出雲族の中で、
ただ一人抵抗したタケミナカタ(建御名方)が
戦いに敗れ逃げた場所が、諏訪だと。
あそっか、なるほど。
稲作を持って渡来してきた弥生民に排除された、土着の縄文民の末裔が全国に広がり、、
その象徴が、諏訪神社てことか♪・・フンフン
と、納得しかけたらそう単純じゃなかった!!
諏訪にはもっともっと古~い神様がいる。
それがミシャグジ。
漢字で書けば、御左口神・御石神・・etc.
縄文中期から確認される、木と石の原始信仰。
東京練馬の「石神井」もコレなんだって。
この研究によると、
出雲族だって稲作をしていた弥生民族だ。
そのタケミナカタが諏訪に逃れ、力をもって
土着の狩猟民、洩矢(もりや)氏の上に立つ。
タケミナカタは、この地に稲作をもたらした
「諏訪大祝」として君臨し、洩矢は祭祀を司る
「神長官」となり、以後共同の祭政がとられ・・
後に天孫族(大和民族)も侵入し、時代は下り
仏教思想、陰陽五行思想も重なって
全国に広がる現在の諏訪信仰が出来上がる。
祭神:建御名方神& その妻八坂刀売神。
が!!・・・・ 実はその根っこで洩矢氏は、
ミシャグジ神事の中枢を明け渡すことなく、
旧来の地位と祭祀をずーっと守っていた!
現在までだよ!
これが・・↓↓↓
「諏訪を掘ったらアジアの水脈につながった」
という、この諏訪研究チームは40年前に、
洩矢氏78代目、昭和20年生の守矢早苗さん
に、直接インタビューしている。
一代2~30年とすると、、約二千年だよね?
(゜ロ゜)
つまりは諏訪信仰を、一皮二皮めくれば
ミシャグジが残り、これを追求することで
縄文からの原始日本が見えてくる。
しかも諏訪には色々資料が残り、
肝心要の神長官洩矢(守矢)家は立派に現存!
これはスゴい。
この本は40年前に発刊されて後、
絶版のまま入手困難であったものが
昨年、3部作の文庫になって復刊した。
40年前のこの本の、重要な骨子の一つが
諏訪で寒天屋さんを営む、普通の女性
今井野菊さん (取材当時74才) が、長年
たった一人、まるで何かに憑かれたように
ミシャグジを探して歩いた、膨大な記録。
ミシャグジの跡は、塩の道でもある古道と
重なり、神様は必ず大木を伝い、降りてきて
木の下の石棒に宿り、御神体となる。
柳田国男が「石神問答」で、ミシャグジは
石神か、樹の神か、論争したそうだけど
きっと答えはコレなんだろう。
古の諏訪祭祀では、大祝(おおほうり)に
就任する男児に神を降ろして、生き神とし
儀式の後、密殺して地に埋めることで
農作物の豊穣を祈ったという。
この生贄は、建御名方直系の大祝から
次第に他の童子が身代わりに選ばれ、
「おこうさま」(こう=神)と呼ばれる存在に。
・・・という昔々の衝撃的な事実が
一般人である、今井野菊さんの
口から語られるのは本当に驚きだ。
ウチの近くの小さな諏訪神社にも
縄文から続く原始日本が潜んでるのかな?
千鹿頭(チカト)神。天白信仰。竜蛇信仰。
そそう神。・・・まだまだ出るぞ~。
興味とリスペクトが止まらない。
to be continue.....
2016年守矢家の御頭御左口神総社御柱祭
自分の中でひとつ、明確になったのは
この原始自然崇拝は、
樹や石に精霊が常在している、と考える
アニミズムとは違う、ということ。
精霊は呪術によって空から降りてくるもので
石棒や童子に神を降ろし、それを御神体と
した。だから今も諏訪大社には本殿がない。
そして、上社だけでも年に75回もの
祭祀があるのだ。
上社=本宮(ほんみや)・・諏訪市→神体守屋山
前宮(まえみや)・・茅野市→本殿有り
下社=秋宮(あきみや)下諏訪町→神体イチイの木
春宮(はるみや)下諏訪町→神体スギの木
四ヶ所の宮を合わせて「諏訪大社」という。