●病が語る日本史 @酒井シヅ | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

「医史学」というのがあるそうで、
原始から現代に至る医療、医学の発展を
研究する酒井さんは、日本医史学会理事長。




大村益次郎を描いた大河ドラマ「花神」や
南方先生~♡の「JIN-仁-」などで、医学考証
をしたりされてる。




また発掘した遺体の骨や異物、トイレ遺構
などから病気を研究する「古病理学者」という
人々もいて、こういう専門医が貴重な史実を
今に伝えてくれるのだなぁ。









古代の治療は、やっぱり神頼みだった。
「節分」の起源は、文武天皇の698年から
15年間も疫病が収まらなかった時、
中国から伝わる、大儺(たいな)という
鬼遣らいの儀式をしたことから。




また、最近テレビでよく見る蘇民祭は、
平安~鎌倉辺りの「蘇民将来信仰」からで、
蘇民将来と、巨旦(こたん)将来という
二人の兄弟の話。人名だったのか~。(^^;






旅人に宿を乞われた時、裕福な弟は冷淡で
貧しい兄は親切にした。と・・・実は旅人は
スサノオノミコトでした!という神様あるある。



貧しいけど、快く泊めてあげた蘇民将来は
「子孫たちの腰に付けよ」と茅の輪を貰う。
その後疫病が流行り、蘇民将来の子孫以外は
皆死んでしまいました。とさ。


護符は色んな形がある。




この信仰は各地にあって、ウチは蘇民将来
の子孫ですよ!病気からお守り下さい!・・
と、護符やお札、しめ縄などを飾るのだ。

「茅の輪くぐり」も各地にある。







江戸時代、日本には眼病が多くて
西洋人医師が驚くほどだったそうだ。
この治療の為に、眼科医・土生玄碩が
瞳孔散大薬を貰い、お礼に葵の紋付きをあげ
て、シーボルト事件になっちゃう。。
それだけ眼科治療が切迫してたってことかな。



眼科医・土生玄碩(はぶげんせき)




その他、らい病、脚気、コレラ、結核、
梅毒、赤痢、ペスト、麻疹、癌、寄生虫、
トラコーマ、フィラリア、おこり(=マラリア)、、いくらでもある。
「恙無く暮らしております」っていうのは
ツツガムシ病から来てるんだって。




唯一、人力で消し去る事ができた伝染病は
天然痘(痘瘡)だけなんだ。
記録に残る、聖武天皇の頃から長ーく
ひたすら恐れられ続け、藤原四兄弟の死や
伊達政宗の目も痘瘡だった。



江戸時代は子供が産まれても痘瘡を無事
済ませるまでは名前をつけなかったのが、
ジェンナーの牛痘接種法で乳幼児の死亡が
激減したんだね。





「鎮西八郎為朝の痘瘡絵」     英雄の武威を
借りて痘瘡を軽くするおまじないが流行。







驚いたのは平均寿命の伸び方。


明治24年の時点で男42才、女44才。短い!
戦争が終わり、昭和22年にやっと50代。
で。ここから急激に、昭和26年で60代・・
昭和46年で70代!



私がのんきに50年生きてる間に、なんと
30年も寿命が伸びた!これは凄いことだ。




この分だと、ガンの特効薬もできて
私80才の頃には、平均寿命100才でしょ。
よーし、あと50年、読書するぞー。



85才まで生きた杉田玄白の踊る自画賛像。

「偽の世に仮の契りと知りながら、
本当ということに騙されて生きてきた。
ここは狐の宿かいな。コンコン。」