原始から現代に至る医療、医学の発展を
研究する酒井さんは、日本医史学会理事長。
大村益次郎を描いた大河ドラマ「花神」や
南方先生~♡の「JIN-仁-」などで、医学考証
をしたりされてる。
また発掘した遺体の骨や異物、トイレ遺構
などから病気を研究する「古病理学者」という
人々もいて、こういう専門医が貴重な史実を
今に伝えてくれるのだなぁ。
古代の治療は、やっぱり神頼みだった。
「節分」の起源は、文武天皇の698年から
15年間も疫病が収まらなかった時、
中国から伝わる、大儺(たいな)という
鬼遣らいの儀式をしたことから。
また、最近テレビでよく見る蘇民祭は、
平安~鎌倉辺りの「蘇民将来信仰」からで、
蘇民将来と、巨旦(こたん)将来という
二人の兄弟の話。人名だったのか~。(^^;
古代の治療は、やっぱり神頼みだった。
「節分」の起源は、文武天皇の698年から
15年間も疫病が収まらなかった時、
中国から伝わる、大儺(たいな)という
鬼遣らいの儀式をしたことから。
また、最近テレビでよく見る蘇民祭は、
平安~鎌倉辺りの「蘇民将来信仰」からで、
蘇民将来と、巨旦(こたん)将来という
二人の兄弟の話。人名だったのか~。(^^;
旅人に宿を乞われた時、裕福な弟は冷淡で
貧しい兄は親切にした。と・・・実は旅人は
スサノオノミコトでした!という神様あるある。
貧しいけど、快く泊めてあげた蘇民将来は
「子孫たちの腰に付けよ」と茅の輪を貰う。
その後疫病が流行り、蘇民将来の子孫以外は
「茅の輪くぐり」も各地にある。
江戸時代、日本には眼病が多くて
江戸時代、日本には眼病が多くて
西洋人医師が驚くほどだったそうだ。
この治療の為に、眼科医・土生玄碩が
この治療の為に、眼科医・土生玄碩が
瞳孔散大薬を貰い、お礼に葵の紋付きをあげ
て、シーボルト事件になっちゃう。。
それだけ眼科治療が切迫してたってことかな。
眼科医・土生玄碩(はぶげんせき)
その他、らい病、脚気、コレラ、結核、
梅毒、赤痢、ペスト、麻疹、癌、寄生虫、
トラコーマ、フィラリア、おこり(=マラリア)、、いくらでもある。
「恙無く暮らしております」っていうのは
ツツガムシ病から来てるんだって。
唯一、人力で消し去る事ができた伝染病は
天然痘(痘瘡)だけなんだ。
記録に残る、聖武天皇の頃から長ーく
ひたすら恐れられ続け、藤原四兄弟の死や
伊達政宗の目も痘瘡だった。
江戸時代は子供が産まれても痘瘡を無事
済ませるまでは名前をつけなかったのが、
ジェンナーの牛痘接種法で乳幼児の死亡が
激減したんだね。
「鎮西八郎為朝の痘瘡絵」 英雄の武威を
眼科医・土生玄碩(はぶげんせき)
その他、らい病、脚気、コレラ、結核、
梅毒、赤痢、ペスト、麻疹、癌、寄生虫、
トラコーマ、フィラリア、おこり(=マラリア)、、いくらでもある。
「恙無く暮らしております」っていうのは
ツツガムシ病から来てるんだって。
唯一、人力で消し去る事ができた伝染病は
天然痘(痘瘡)だけなんだ。
記録に残る、聖武天皇の頃から長ーく
ひたすら恐れられ続け、藤原四兄弟の死や
伊達政宗の目も痘瘡だった。
江戸時代は子供が産まれても痘瘡を無事
済ませるまでは名前をつけなかったのが、
ジェンナーの牛痘接種法で乳幼児の死亡が
激減したんだね。
「鎮西八郎為朝の痘瘡絵」 英雄の武威を
借りて痘瘡を軽くするおまじないが流行。
驚いたのは平均寿命の伸び方。
明治24年の時点で男42才、女44才。短い!
戦争が終わり、昭和22年にやっと50代。
で。ここから急激に、昭和26年で60代・・
昭和46年で70代!
私がのんきに50年生きてる間に、なんと
30年も寿命が伸びた!これは凄いことだ。
この分だと、ガンの特効薬もできて
私80才の頃には、平均寿命100才でしょ。
よーし、あと50年、読書するぞー。
驚いたのは平均寿命の伸び方。
明治24年の時点で男42才、女44才。短い!
戦争が終わり、昭和22年にやっと50代。
で。ここから急激に、昭和26年で60代・・
昭和46年で70代!
私がのんきに50年生きてる間に、なんと
30年も寿命が伸びた!これは凄いことだ。
この分だと、ガンの特効薬もできて
私80才の頃には、平均寿命100才でしょ。
よーし、あと50年、読書するぞー。
85才まで生きた杉田玄白の踊る自画賛像。
「偽の世に仮の契りと知りながら、
本当ということに騙されて生きてきた。
ここは狐の宿かいな。コンコン。」
「偽の世に仮の契りと知りながら、
本当ということに騙されて生きてきた。
ここは狐の宿かいな。コンコン。」