●北条時宗 @浜野卓也 | ★50歳からの勉強道~読書録★

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本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい。

北条時宗は元寇の時に執権だった人だ。


1267年にモンゴルからの国書が到着し、
この国難に対処するべく推薦されて翌年、
18才で執権の座についた。若い~!




即座に戦争の準備を進めながら、
侵略を受けた高麗の現状を探り、
モンゴルの意図を見定める。。


1274年文永の役
1281年弘安の役・・博多湾で2か月も戦った


モンゴル(元)が致命的な打撃を受けて
退去するまで14年間。時宗32才。

この合戦に命を捨てた敵味方、全ての霊を
祀る円覚寺を創建し、2年後の1284年
病気のため34才の若さでこの世を去った。


北条時宗かも?という肖像画。



スゴくない?
日侵略目的の大国に大挙攻め込まれる・・
なんて、日本の歴史でただの一度きりだよ。
もしかしたらそのためだけに、
日本を守るためだけに、
生まれてきたんじゃないか?!


だってこの時の対応、尋常じゃないんだ。

▼一度目の使者→返書しない
▼二度目の使者→返書しない
▼三度目の使者→国書受け取らない


そして文永の役後は、

▼元からの使者を斬る  
▼元に滅ぼされた宋からの使者を斬る

そして弘安の役で勝利!!





この強硬姿勢は無謀だ、、という意見も
あるけど、私はそう思わなかった。


国書の無視は、モンゴルが尊大で礼を失して
いることに対する非難の表明だし、
蹂躙されている高麗の現状を見ても
屈伏=侵略は明白、という判断も的確。


使者を斬ったのは、
文永の役で対馬・壱岐の島民を皆殺しにされ
謝罪もなかったから。
日本は誇り高く、勇敢な国だった。。
守るか、侵略か、もうどっちかだ!


マルコ・ポーロ「東方見聞録」の弘安の役



時宗は優秀で勇敢で賢明で、、
とてもカッコ良く書かれていた♡  
また、ちょうど鎌倉仏教の隆盛期で、
仏教解説もたくさん。勉強になったなぁ。


日蓮は予言を的中させながらも、他宗を
攻撃する過激な言動で佐渡に配流になる。


日蓮辻説法



一遍は踊り念仏で人気を博す。

一遍上人絵伝。巻五。偶然北条時宗に出会い
鎌倉入りを止められたとこだとか。



時宗は蘭渓道隆の下、建長寺で座禅に励み
道隆の死後は、無学祖元を招聘する。


朝廷では後嵯峨天皇の後、後深草と亀山の
兄弟で皇統争いとなり、時宗の仲裁により
交替で天皇を出すことになる。これが
南北朝分裂のモトになったんだね・・・・


この短い執権時宗の時代、今に伝わる有名な
ことが沢山あったんだ。
スゴいなぁ。第八代執権、北条時宗!


円覚寺は北鎌倉駅の、ソク隣!
元寇の戦没者を、敵味方区別なく供養する
ためのお寺だなんて。。スバラシイ!



そういえば、ご朱印も大変立派でした。
正式には  「えんがくじ」と読むそうだ。