東京都が1990年(平成2年)7月に「東京都平和の日条例」で制定しています。
1945年(昭和20年)3月10日深夜0時8分、
東京でアメリカ軍B29爆撃機344機による焼夷弾を用いた大空襲が行われ、東京は一夜にして至る所が焼け野原と化し、死者約10万人・焼失家屋約27万戸だったと言われています。
熊本も熊本大空襲がおき、軍事施設のあった熊本市中心部は焼け野原となったそうです。
当時、軍事施設施設のあった大江近くの味噌天神前付近にあったモノマネ芸人のコロッケさんのお祖父さんのパン屋さんも私の祖父の写真館も熊本大空襲で焼け野原となりました。
戦争時、ドラマや映画等で描かれるように赤紙1枚で招集され、多くの人が戦地へ向かい尊い命を失ったり、重傷を負いました。
そんな戦場に行った人を待つ家族などは描かれる事は多いですが、
大空襲、あるいは原爆投下の元に彷徨い生きた人は、少数派の為か戦時中の一部と捉えられているように思います。
ガザなどの「罪のない一般人」は、第2次大戦時の各地の大空襲の被蓋にあった人だと重なると思います。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240309/k10014384591000.html