「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まる福沢諭吉の『学問のすゝめ』 | フードアナリストyume-no-hana-saku123のブログ

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時に、そんな時間さえままならない試煉を与えられる。そんな時に口にしたひと口の食べ物に「生」への糧を感じる。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まる福沢諭吉の『学問のすゝめ』 。


この言葉を平等を説いていると思われている人が少なくありません。


以下に、少し長文になりますが、福沢諭吉がその話をしている箇所まで、記載しました。


 先ず、この「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で始まる本の表題は


「学問のすゝめ」です。


この「学問のすゝめ」は、福沢諭吉が旧中津藩藩主の奥平昌邁に学問の必要性を説き、


中津藩家老生田家邸に1871年(明治4年)11月に開校した中津市学校(なかつしがっこう)開設の際に、学問の必要性を示すために記した小冊子が元になっています。


福沢諭吉が説いたのは、学ぶ事により、


自ら道を切り開く、


という事にあると思われます。


「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言えり。されば天より人を生ずるには、万人は万人みな同じ位にして、生まれながら貴賤きせん上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働きをもって天地の間にあるよろずの物を資とり、もって衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨げをなさずしておのおの安楽にこの世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今、広くこの人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥どろとの相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。『実語教じつごきょう』に、「人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なり」とあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。