その当時私は、高校生でした。自分が乗る飛行機だった訳ではなく、家族や親戚が乗っていたわけでもなく、友達が乗っていた訳でもありません。
テレビや新聞で見て、知った飛行機事故でした。
でも、今でも凄く気になっている出来事です。
その飛行機事故について書かれている本が、いくつかあり、その本の感想を書きます。

風にそよぐ墓標
ヘリコプターで、生存者の女の子を吊り上げて助けた陸上自衛隊の佐久間さんが、
「いろいろなことを考えました。
自分が抱えたあの子は、これからどうやって生きていくのか、ということです。あの状況では家族は助かってないだろうし、きっとこれから1人で生きていかなければいけないだろう、と思いました。私は、あの子に身寄りがいないんだったら、うちで養子にしよう、と考えました。」
「私は、彼女を上げながら、この子はまともな人生というか、人を怨まずに人生を送れるのかということを考えたんです。だから、自分が面倒を見なければいけないのではないか、と思ったんです。でも、あの後。入院した川上さんがお世話になった看護婦さんに感謝の手紙を書いたじゃないですか。報道でそれを知った時に、ほっとしたんです。人を怨まない、感謝する気持ちを忘れないでこの子はいてくれたんだな、と思いました。」
「あの子が感謝するという気持ちを持っていたことに、私は、安心しました。」
と書かれていました。
この文章を読んで、涙が出ました。
ヘリコプターで救出する所は、テレビで見て、今でも覚えていますが、佐久間さんという人が、仕事としてではなくて、その時に、そのようなことを、いろいろ考えていたのかと思うと、涙が出ます。

「必死で歯をくいしばったのは、涙をこらえるためだった。」
と書いてあります。

墜落の夏
この本は、飛行機が離陸してから異常音がして、墜落までの飛行機の中の様子とコックピットでの様子が書かれてあります。
あと、生存者の、落合さんの証言も書かれてあります。
この人は、スチュワーデスなので、、詳しく話してくれていました。
隣の席の、一般客のKさんに、「緊急着陸して、私がもし動けなかったら、うしろのL5ののドアを開けて、お客様を逃がしてやってください」とお願いしてあったそうです。
墜落直後の様子も・・・
「顔をあげた、その途端にいろんな物がぶつかってきました。固いもの、砂のような物がいっぺんにです。
衝撃が終わった後は、わーっと埃が舞っているようでした。目の前は、もやーっとしているだけです。墜落だ、と思いました。大変な事故を起こしたんだな、と思ったのは、この時でした。」
「呼吸は苦しいというよりも、ただ、はあはあ、とするだけです。死んでいく直前なのだ、と私はぼんやり思っていました。」
“死ぬ”と感じてその後助かった時に思い出す恐怖を思うと、何とも言えません・・・

墜落遺体
遺体の傍らで、のたうちまわる人・・・
日航の職員に「お前らに殺された」と怒鳴る人・・・
誰が悪いわけでもない事故なのだけど、やり場のない怒りや悲しみをその人にぶつけるしか無かったのでしょう・・・
かなり、酷い遺体もあったようです。
顔が無かったり、胴体で引きちぎられたり、一部しか無かったり・・・
自分の家族の遺体がどこにあるのか、分からないから、一つ一つの棺を開けて探すのも、大変だったと思います。
そして、日ごとに強くなる死臭も。酷かったらしいです。
その他にも「墜落現場 遺された人たち」という本も読みました。

あと、どの本だったか、忘れたけど、生存者の川上さんの証言にも、墜落直後には、父親と、妹も、生きていて、暫くしてから父親は、死んでしまったらしく、妹と「島根の家に帰ったら、おばあちゃんと、お兄ちゃんの4人で仲良く暮らそう」と話していた事も書いてありました。
大変な状況の中で、その時にはもう、辛い現実を受け止めていたのかと思うと、やはり涙が出ました。