こんにち太陽

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注意この投稿は2015年に投稿したものを加筆修正したものとなります。

 

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カギ本格的に業績が悪化してきた

会社はいよいよ本格的に資金調達が困難な状態となっていました。

そのため、職場全体で経費削減策をとるにあたり、

人員削減や給与の減額、役員たちの報酬の減額などのほか、

残業代の削減のため、事務職員の給与も年俸制になりました。

もちろん退職金の制度も撤廃。

 

 

そのほかにも、会社で支給する文具類の購入がなくなったため

(仕事で絶対に必要不可欠な文具は購入は可能でした)

必要な文具類は自腹になるなど、様々な対策がとられましたが

焼け石に水という状態でした。

 

 

 

そして、休眠しているお金を再利用するため、

思い出されたのが供託金の取戻しでした。

 

 

供託金とは、仮差押えの手続きをする際に法務局に差し入れるお金のことで、

仮差押えをする額によって、金額は異なります。

それが社長の言によると、全社分で15億。

本店管轄ぶんでも、5億くらいある、というのです。

 

 

いままでプールしておいたお金と同じなので、仮差押えの申立てを

取り下げれば、この供託金は全額、返金されるのです。

(ただし、取り下げをするのには書類作成等を含め実費はかかります)

 

 

 

取り戻した供託金を営業資金に充てるため、急きょ

供託金取戻しのプロジェクトチームが組まれることになり

「供託金グループ」と言う名前の部署が、一時的に設立されました。

もちろん上長はいましたが、実務部隊としてのグループリーダーに

私が抜擢されることになりました。

 

 

 

カギ供託金の取戻しプロジェクトのノルマは…

社長の鶴の一声で発足することになった「供託金取戻しプロジェクト」ですが、

実際 積んでいた供託金の総額がいくらかはわかりませんでしたが、

全国で15億、東京支店管轄の案件で5億を、3ヶ月で回収しろ、という

理不尽なまでのミッションがくだされました。

 

 

グループのメンバーは私を入れて5名。

正社員だった私のほかに、某有名私学の法学部を卒業したという

鳴り物入りで入社してきた女性社員(私より2才年上)のほか

法学部に在学中のアルバイト2名と、行政書士の資格を持つ嘱託の男性です。

この5人で、3ヶ月で5億の回収をしなければなりませんでした。

 

 

そもそも供託金の取戻し業務の仕方を、私は知りませんでした。

この頃は、あまりにも退職者が多く、引継ぎも満足にされないまま

業務が放置されているのが当たり前になっていて、

その、とっ散らかったままの状態を渡されるのです。

 

 

引き継ぎ書などという立派なものはなく、また教えてくれる人も

ほとんどいないという環境の中、運がいいことに

その業務の手順を知っている方がいて、その方も退職されるということだったので

彼女が退職するまでの1週間ほどで、引継ぎをしながら

業務の手順や、必要書類などを教えてくれました。

あとは、実務を行って覚えることしかできませんでした。

 

 

手順は分かったものの、あまりにもイレギュラーな事案ばかりで、

供託金の取戻し業務はとても大変でした。

 

 

私以外の、唯一の正社員だった方は「こんなのできない」と、メソメソ泣くだけで

ちっとも手を動かしてくれず、アルバイトの学生の一人は

何度注意をしても毎回同じミスを繰り返し、しかも間違った書類を

裁判所へ提出してしまうのです。

 

 

そのたび、裁判所から電話がかかってきて、訂正のために

余計な時間を使うことになりました。

 

 

そして嘱託の男性は、中途半端に知識があったがゆえに

かなりしち面倒くさいことばかりを言うだけで、

頼んでいた書類の申請をしてくれないことが多く、

あの時は孤立無援な状態で働いている気分でした。

 

 

あのときの資料は、まだ手元に残っています。

記憶から少しだけ引っ張ってくると、東京支店管轄の取戻し案件の総数に対し、

3ヶ月の営業日数と、グループの人員、そして1人当たりの作業数を

最大見積もっても、数字の理論ですら、3ヶ月で達成は不可能なものでした。

 

 

私自身はできる範囲で最大限の努力をしたつもりでしたが、

放置されていた案件というのは、引継ぎもなく 場合によっては

資料の一部が紛失していることもあったため

すんなりと書類作成ができないことも、大変なことでした。

 

 

ただ、だからといってやらないという選択肢はなく、

あとは「どこまで達成数値に近づけるか」という努力です。

私自身は、作業をしてくれない人の分まで できる限りで頑張ったと思っています。

 

 

当時の記録を見ると、申立ての書類の作成件数は月最大で200件だったようです。

ちなみに供託金の取戻しでは、月最大3000万円の取戻しをしていたようでした。

 

 

申立てをしていた割合は、私が8割、もう一人の正社員が1割

そして事務パートの2人で1割という感じでしたから、

2400万円ぶんくらいは私が取り戻した計算になるのだと思います。

 

 

とはいえ、このときの記憶は 実はあまり ありません。

精神的にも極限状態で、ずいぶんと尖っていたような気がします。

友人に言わせると、この頃の私はもう目つきが尋常ではなく

「人として何か終わった感じ」と言っていたような気がします。

 

 

というのも、まるで中間管理職のように

行動しないグループのメンバーを抱えて仕事をし、夜になると、

上長に呼び出され、現段階での数値と、目標数値までの差異について

ほぼ毎日、叱責されていたからです。

 

長い時で5時間くらい叱責されていたこともありました。

(なんでそれを覚えているかと言うと、

その時間があったら書類作成に回したいと真剣に思っていたからです)

 

 

そして記憶がないことの証明は、某アーティストのライブ。

チケットの半券があるので、行ったはずなのですが

その記憶がほとんどありませんえーんえーんえーんえーんえーん

 

 

その後発売されたDVDでライブの様子を見たのですが

それでも記憶がほとんどないところをみると、

それだけ極限状態だったのだと思います。

 

 

そして記事にしながら思い出したのは、この頃はあまりにも

やらなければならない仕事が多く、

上長からの叱責でストレスがかかっていて、そのストレスを発散させるため

お手洗いの壁を拳で叩きつけることが多くなっていました。

 

 

何度も拳を打ち付けたお手洗いの壁のタイルは、1枚割れていたと思います。

そして拳もとても痛かったのですが、それよりも悔しさや

怒りが先立っていたような気がします。

 

 

結局のところ、供託金の取戻し業務については、

時間的にも、人員確保なども問題などもあり

あまり成果が出なかったため、自然消滅的にプロジェクトも

供託金チームもなくなってしまいました。

 

 

しかしこの3ヶ月でストレスは極限まで溜まりましたが、

実務的なスキルやレベルは跳ね上がったと思います。

 

 

そして、供託金グループは解散となり、また別の部署に異動になります。

管理部での仕事については、もう少し続けます。

 

 

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