こんにちは
いつもペタや「イイネ」をありがとうございます
今年の9月に「ハーフ」となること、また社会人人生も
30年という節目の年になるということで、振り返りの意味合いも込めて、
いままでの社会人としての職歴について、
2015年に投稿した内容を加筆修正して再度投稿をしようと思います。
この投稿は2015年に投稿したものを加筆修正したものとなります。
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2015年2月1日で、社会人になってちょうどハタチ、
20年が経過しました。
20年の社会人人生の中では、本当に色々なことがありました。
それを時系列で少しずつ紹介していきたいと思います。
【ひとつめの会社 1995年2月~1996年3月】
社会人経験1年目にして、辛酸をなめ 人間不信に陥った零細企業
そもそも就職活動をしていなかったんです
短大生のとき、実は「将来は警官になる」と心に決めていて
警視庁と埼玉県警の採用試験を受け・・・みごと玉砕した私
おかげで就職活動もままならず、気がつけば10月を過ぎ・・・
このままいけば、就職浪人になるところでした。
そんなとき、学生時代に手伝いに行っていた某議員事務所の秘書の方から
「知り合いが新しく会社を立ち上げる人がいて、事務員を募集しているから
そこで働いてみない?」
と声をかけてくださったのです。
渡りに船、とばかりに顔合わせにいったのが、
20年前の1月17日。
阪神淡路大震災の起きたその日でした。
仕事の内容は、自販機設置の新規開拓をするというもので
事務と言っても電話番くらいで、ほかにすることはない。
新しく立ち上げる会社なので、
これから少しずつ仕事が増えていくだろう、ということでした。
私も、これから就職活動をするのは・・・と思っていたので
とりあえずはその会社に入社することにしました。
2月1日から「慣らし」として、アルバイトとして、週に数日仕事をして
(まぁまだ学校あったし、卒業もしていなかったしね)
4月1日から正式に正社員で採用、ということで
お仕事をすることになりました。
所属メンバーは、社長、営業2名、私の計5名でした。
半年で潰れた( ノД`)シクシク…
2月からバイトとして職場には行くものの、そもそも
仕事がない。
することない。
あるのは、テレビと、昔懐かしい「ワープロ」だけ。
という状況でした。
というのも、この時期にちょうど道交法が改正され、ざっくり言うと
「路上にはみ出したものはNG」というルールができてしまったからです。
そのため、屋外で自販機を設置することじたいが難しくなり
営業活動すら大変になってしまっていたようでした。
2人いた営業は、直行・直帰をすることが多く、
必然 私は事務所で電話番&留守番をする以外の仕事もなく…。
そんな状況で、しかも新規契約がほとんどとれなかったため
お給料も燦燦たるアリサマでした。
当時、供与の支払いは銀行振り込みではなく、手渡しだったのですが
(しかもその額は、手取りで12万)
お給料がきちんとでたのは、4月25日の1回だけでした。
翌月の5月からは、給料日が近くなると社長は行方をくらまし、
連絡がとれなくなりました。
当時はいまのように携帯電話というのはほとんど持っている人がいないため
こちらから社長に連絡をとる手段というのはないのです。
社長から連絡がくるまで、できることはほとんどなく
「待ち」の状態を続けるしか方法はありませんでした。
そしてようやく月末になって事務所に社長がくると
「とりあえずこれだけ。残りはいずれ・・・」と言って
半分ほどの現金を渡されるのです。
私は実家住まいだったので、衣食住に困ることは
なかったからよかったのですが
ほかの営業の社員さんは、とても困ったと思います。
また、月末になると様々な督促の電話もかかってくるようになりました。
時代が時代だったため「社長とは連絡が取れない。伝えます」と
いうこと以外できなかったのは、今にして思えば救いです。
そういう状況だったこともあり、この会社は半年で
倒産することになりました。
続きます。
いつもお読みいただき
ありがとうございます