酒井雄哉大阿闍梨【口伝】

❖阿闍梨の呟き1

◆自分でも気づかぬところに「因縁」がある、




◇自分でも気づかぬところに「因縁」がある


僕は、五つくらいのときまで大阪の玉造っていうところで暮らしていた。その家には母方のおばさんたちが住んでいて、お山(比叡山)に上がるようになる前にそこを訪ねたときに面白いものを見つけたんだ。


神棚に、虫食いだらけの変な仏像が置いてある。それが妙に気にかかって、おばさんに「これ、なに?」って訊いたらね、「あんたのお父さんが、事業に失敗して東京に逃げていったときに置いていったものや」と言う。仏さまだから捨てるわけにもいかない。どこかのお寺さんにでも納めてきてくれるか、って言うから、「そんなら僕が預かるわ」ってもらうことにしたんだ。


それは、役行者さんの木像だった。役行者っていうのは奈良時代ごろにいた呪術者で、山岳修験道の祖師といわれている。手に取って見ているうちに、昔、母親がしてくれた話を思い出してさ。


まだ、玉造の家に住んでいたときに、僕は夜中にうなされたことがあったらしいんだね。自分じゃ覚えていないんだけど、「怖い、怖い」って泣いたっていうんだよ。母親の話では、この役行者さんを指しているからなにかと思って見てみたら、お像なか黒い蟻がたくさんたかってたんだって。それから、このお像のあるところで寝たくないって言うようになったんだ。って話をしてくれたことがある。すっかり忘れてたんだけど、その役行者さんのお像っていうのは、これのことだったのか、って思ったんだ、


あまりに古びて傷んでいたから、修繕してもらおうと思って、その前にこれの御霊を抜いてもらわないといけないな、って考えた。


そのころ、ときどき比叡のお山に行くようになっていたから、それを持って、ある偉い行者さんのところに行ったの。その相手が、飯室谷不動堂にいた箱崎文応師、その後、僕を鍛えてくれるお師匠さんになる人なんだ。


僕の持っていったお像を見た箱崎師は、「なんだ、これは、おまえ、こんなものを持ってると、この裏山を歩くような人生になってしまうぞ」って言われた。


そのときは、何を言われてるかさっぱり意味がわからなかった。


比叡山のお寺を訪ねると気持ちがいいな、とは思っていたけど、まさか自分が出家して行者になって山を歩きまわることになるなんて、思ってもみなかったしな。そのとき訪ねた飯室谷不動堂が自分の終の住処になるなんてことも、箱崎師に厳しく鍛えられる人生が待ってるなんてことも、まったく想像もつかなかったしね。


いろんなご縁やそうなる理由が絡み合っていることを「因縁」って言うんだけど、そういう不思議なめぐり合わせってあるものなんだよ。


自然に、心のままに動いていると、そういう運命的なものに導かれているのかな、って感じることがあると思うね。


この世に命を授かりもうして 酒井雄哉