阿闍梨【番外編】

❖今東光坊主になる、⑨ 略年譜



明治三十一年  0歳 横浜市伊勢町に生まれる。父は日本郵船の欧州航路の船長、

             小学校時代は転々と学校を移る。


明治四十年   9歳 函館、小樽、横浜と転々としたあと、大阪の叔父宅に寄宿


大正三年     16歳 関西学院中学部三年の一学期、諭旨退学、兵庫県豊岡中に転校、

             恋愛事件、暴力事件で退学、東京小石川の叔父宅に寄宿。

             画家を志すも父から勘当。


大正七年     20歳 文学活動の中で川端康成と出会う。テンプラ学生として東大に出入り


大正十年     23歳 川端康成らの第六次『新思潮』の発刊に同人として参加。

             『女人転身』『童女』などの作品を次々と発表。


大正十二年    25歳 一月、創刊された『文藝春秋』の同人となり、随筆など多数発表


大正十四年    27歳 『痩せた花嫁』を金星堂より刊行。新聞・文芸誌等で積極的に活動。


昭和五年     32歳 五月、東京・浅草寺伝法院で、大森亮順大僧正戒師にて出家。

             昭和八年まで比叡山延暦寺に籠もり修行。


昭和九年     36歳 比叡山を下り、茨城県安楽寺の住職となる。


昭和十三年    40歳 『運命学』に『易学史』を連載。高い評価を受ける。


昭和二十一年   48歳 十一月、蜂谷きよと結婚。


昭和二十六年   53歳 大阪八尾市、天台院の住職となる。


昭和三十二年   59歳 一月、中外日報社社長就任。『お吟さま』の連載開始


昭和三十三年   60歳 帝塚山学院、四天王寺学院、相愛女子短大の講師を委嘱。


昭和三十六年   63歳 大阪貝塚市、天台宗水間寺住職に就任。


昭和四十年          67歳 『東光太平記』を産経新聞に連載。十二月、権大僧正となる。

             岩手県平泉町、東北大本山中尊寺貫主に就任。


昭和四十八年   75歳 『週刊プレイボーイ』で人生相談『極道辻説法』の連載開始。

            瀬戸内晴美出家、寂聴の法名を授ける。


昭和五十二年    79歳 九月十九日 示寂。

           法名 大文潁心院大僧正東光春聴大和尚


おわり。  

毒舌仏教入門 苦楽は一つなり 今東光