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Martinのブログ

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今年は、いい年でありますように・・・。


2016年Amebaおみくじ結果

アメリカに留学している教え子が

この曲をライブでやりたいけど、

バンドスコアがないので送ってほしいと・・・。

どんな曲かと思ってyoutubeで検索したけど

アコギだけで十分だし、スコアなどいらないよね。

ライブって大丈夫なのでしょうか。

でも、いい曲で気に入って何度も聴いてます。

ボーカルのご両親はあの森・森夫妻

さすがに上手い。超良血サラブレッドだね。



以前から弾き語りしてた曲ですが、
この動画をみて、キーをAで完璧とはいかないまでも、
いやもっとなめらかにカバーしてみたけど、
声が・・・。でない。
VOCALの上杉くんは渋くてかっこいいけど、
俺のこえはダメだね。
キーを下げて、せこく歌ってみようかな・・・。
そういえば、最近、河川敷にも行ってないなあ・・・。






1957年3月
ジョンレノンが結成したバンドがありました。

そのバンドは
何度も名前を変え
何人もメンバーが変わり
やがて、20世紀のレジェンド
「ビートルズ」へと編成されていきます。

ビートルズがまだ芽も出ない
地べたを這いずる時代のお話です。

1959年、ジョンレノン19歳の時です。

まだまだヒットのかけらすらほど遠いビートルズ。

ようやくドイツのハンブルクで
クラブの演奏の仕事が入りました。

しかし、当時のハンブルクは
銃声が鳴り響き、ギャングが
大手を振って歩く犯罪都市でした。

しかも、ハンブルクでの仕事は
食事は昼に一度、ミルクをかけた
コーンフレークが1杯出されるだけ。

クラブでは一晩で
10~12時間と出ずっぱりのステージ。

控えはトイレ。

宿泊先は、隣の映画館の裏の物置。

そして、客は
音楽なんか聞く気もない荒くれ者たちで
元受刑者すらいました。

そんな生活を5か月続けたある日

メンバーのジョージ・ハリスンが
18歳以下であることがバレて
逮捕され国外追放に。

さらに、寝泊りしていた映画館で
ポール・マッカートニーが
マッチを付けたところ
壁が黒コゲのボヤ騒ぎに。

放火の容疑で
これまた国外追放になりました。

まったくボロボロのビートルズです。

ただの不良バンドです、ここまでは。

こうしてメンバーは、生まれ育ったイギリス
リヴァプールに戻らざるを得なくなります。

意気揚々と向かったドイツでしたが
有名になることもなく、帰りは散々。

みんな失意のどん底で、自信を失いました。

「ビートルズはもう終わりだ…」

帰国後のジョンは
当時の彼女にこう告げるほどの
意気消沈ぶりでした。

後に天才の名を欲しいままにする
ポールですら
このときは虚無感に襲われ
家でゴロゴロしていたところを父親に叱られ
しぶしぶ就職します。

トラックの荷物の積み下ろしや
電気のコイル巻の仕事など
どうにも気が向かない仕事で
ポールは無為に日々を費やしました。

ここで、ひとりあきらめの悪い男がいました。

ジョージ・ハリスンです。

ジョージは、ポールとジョンの元を訪れ
「もう一度バンドをやろう!」
とふたりを励まし続けたのです。

そして、やがてチャンスはやって来ます。

1960年12月27日。

ビートルズのターニングポイントと言われる日です。

リヴァプールの北
リザーランドのタウンホールに立ったビートルズ。

ポールが

「ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)」

を歌い始めました。

一瞬で気だるい空気が変わりました。

ポールが歌うや、一瞬、ホールは静まりました。

その一瞬の静けさを突き破るように
そののち、ウワーッという
大歓声が湧き上がったのです。

客は総立ち。

観客は金切り声でステージに押し寄せてきました。

「一体、どうしたというんだ?!」

ビートルズのメンバー全員が戸惑いました。

この瞬間が
後に音楽の歴史を塗り替える
1ページであったことを
本人たち誰もがこの時
気づきもしませんでした。

どん底だったハンブルクでの
5ヵ月に渡るハードな演奏の中で
彼らの音楽は劇的に進化を遂げていたのです。

ジョンはこう振り返っています。

「ビートルズがまさに
 ビートルズとして育ったのは、
 リヴァプールじゃない。ハンブルクだ。

 ハンブルクで、僕らは
 本当のロック・バンドに成長したんだ。

 12時間もぶっ続けで
 言葉の通じない、しかも音楽など
 まるでお目当てでない種類の人間を
 のせるだけのものを、
 僕らは身につけていた。

 ひどい夜(「ア・ハード・デイズ・ナイト」)
 だった。

 あのひどい犬並み
 いや、それ以下の日々の中で、
 一番大切な【何か】を
 自分たちのものにしていた…」
 
 
人は、〝ア・ハード・デイズ・ナイト〟
(悲しみ)の中で本気になり、

人は、〝ア・ハード・デイズ・ナイト〟
(絶望)の中で絆を結び、

人は、〝ア・ハード・デイズ・ナイト〟
(逆境)の中で進化するのです。

No Rain, No Rainbow.
雨降らずして虹は出ない。

参考元:「心が折れそうな時、キミを救う言葉」(SB文庫)
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3月は「自殺防止月間」なのですね。

年度末ですから、卒業、転職、

その他色々な環境が変わるし、

分からないでもないけど・・・。

ずっと前、平日の夕方

淀川の河川敷で歌ってたら、

若い女の子が近づいてきて、

「ギターも歌もお上手ですね」

って、話しかけてきた。

おばちゃんならまだしも、若い子ってのが

めったにないことなので嬉しくなって

「ありがとう」と返事して、

演奏を続けると、彼女が続いて

「ねえ、生きるって楽しいですか」

って、

(げっ、この子、もしかして、自殺願望・・・?)


(これは下手なことを言えないな・・・)

「まあ、両親が早く亡くなってね~。自暴自棄になったときも

あったけど、今こうして、ここで気楽に好きな歌を歌ってるしね。

楽しいことしか考えないよ~。」

とか、何とか色々話した。

その後、気が付けば、

浜省の「もうひとつの土曜日」

を歌っていたけど、

あの子は、ただの変な子なのかなあ。





今日は、オフで一日ぼーっと過ごそうか、

それとも、どこかのフォーク喫茶か

スタジオにでも出かけて大声で

歌ってこようかとおもってましたが、

先日、あるTV番組をちょこっとだけ

見てしまい、そのタイトルが気になったので

検索してみました。


「ママとパパが生きる理由」

実話に基づいてTV化したものだそうで、

主人公のブログがこのアメーバにあり、

それも本日を以て完全に閉鎖というので、

はじめから、ずっと読ませていただきました。

まあ、本を買えばいいのでしょうけど、

何せ、ご本人が書かれて、実際に見届けられた

ブログや友人のコメントに勝ることはないでしょう。



今、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃです。


芽生さんは乳がんで先に亡くなられ、

その後、ご主人のけんさんが代筆されて

いましたが、最近、亡くなられました。

芽生さんのご両親からのご挨拶に書かれていましたが、

今日でブログは閉鎖されます。

芽生さんのプロフィールをコピー

させて頂きました。どうか、天国でも

御夫婦仲良く・・・。


ご冥福をお祈りいたします。



プロフィール

2012年5月、2人目の娘を出産。
5歳の娘と生まれたての娘に囲まれて、とても幸せだったはずの私たち家族にやってきた突然の試練。

2012年8月初旬、私が乳がんの告知を受ける。
詳しい検査の結果、8月下旬に肝転移ありのステージⅣとの診断。

そのわずか3日後に夫が入院。
入院して1週間後に肺がんの告知。
ステージⅢb、余命についての話もされました。

けれど、まだ幼い娘2人を残して夫婦そろって命を失うわけにはいきません。なんとしても生きる。
絶対に治してやる。

そう固く決意をして、夫婦で前向きに明るい闘病生活を送っています。


芽生さんの部屋を訪問












日記を書いて、プレビューを

見ようとすると、固まって、保存もできず

復活もせず、アメーバはブログとしては

ダメーバ

いや、「ダメよ~ん、ダメ、ダメ」です。

こう何回も書いては無駄になると、

書く気も失せますが、ちょっとだけ・・・。



最近は、河川敷で唄ってると顔見知りも

増えてきました~。(一度、このあたりで保存するか)

懐かしい曲を弾いてます。

「木綿のハンカチーフ」

コテコテにアレンジしてカッコよく

弾いてますが、夕暮れ時の風情を

感じて弾き語ってますので、

動画は撮ってません。

あと、この曲、

BREADの「IF]って言う曲です。

かなり、昔の曲ですが、癒されます。

歌詞がまたいい~。



"If"


If a picture paints a thousand words
Then why can't I paint you?
The words will never show
The you I've come to know

If a face could launch a thousand ships
Then where am I to go?
There's no one home but you
You're all that's left me too
And when my love for life is running dry
You come and pour yourself on me

If a man could be two places at one time
I'd be with you
Tomorrow and today
Beside you all the way

If the world should stop revolving
Spinning slowly down to die
I'd spend the end with you
And when the world was through
Then one by one the stars would all go out
Then you and I would simply fly away