こんにちは、皆さん
今回は、私が小学生の頃から
感じていた「働く意味」について
お話しします。
これを読んでいるあなたも、
もしかしたら同じような疑問を
抱えているかもしれません。
私は幼い頃から、
なぜ多くの人が会社に勤めるのか
理解できませんでした。
もちろん、自分にとって
心から好きな商品やサービス
を提供する企業で
働くことはわかります。
でも、
給料の高さ、休日の数、
働きやすさ
といった基準で
職場を選ぶことに対しては、
どうしても違和感を感じていました。
「なぜ、社長サンのために働くのか?」
という疑問が常に頭の片隅にあったんです。
↑生意気な小学生
そんな私が、
小学校の卒業文集に書いた
将来の夢は、
「社長になってソファーで
寝転がっていること」
でした(笑)
これは、あまり働き者ではない
父の姿を見ていた私の中での、
社長のイメージ
だったのでしょうね💦
社長という存在は、
自分の好きなことをして
自由に生きる象徴だったんです。
そんな私が高校生になったとき、
友人が看護師を目指している
ことを知り、
私も看護師を目指すことにしました。
これなら社長さんではなくて
患者さんのために働くことができるし、
人々の健康と命に直接関わる
職業なので、私の価値観にも
合うかなと思いました。
ところが、当時の社会では
看護師という職業は、
社会的な地位が
低く見られがちな時代。
特に私が通っていた
エスカレーター式の学校では、
その学校の大学に進学することが
当然視されていたので
「なぜ、わざわざ看護婦に?」
という感じで、
先生や同級生からは
驚きや批判的な視線を受けたものです。
でも!
その看護師を目指していた友人も
同じエスカレーター式の学校に
通っていて、一部上場企業の
社長の娘だったんですね。
なので、私にとって彼女の存在は
とても支えになりました
今振り返ってみると、
もしかしたら、私は
今の時代に生まれた方が
合っていたのかも?
風の時代と言われる今は、
自分の価値観や興味に従って
自由に生きることが
重視される時代
でも、昭和の時代は、
学歴、終身雇用、
そして経済的な安定が
重視されていて
とっても窮屈だったんです
その後、無事看護師となり、
20年のキャリアを積むと、
今度は、次第に医療現場に
違和感を感じるように
なっていきました。
例えば、患者さんに対して
無駄な延命治療が行われ、
本人の意思が尊重されない
場面に多く出くわしたり、
家庭と仕事の両立や
重い責任に疲弊する同僚が
たくさんいたりして、
もっとみんなが自分らしく
幸せに生きられらば良いのにな
と思うようになったんですね。
そのような状況が続く中で、
私の中で情熱は徐々に薄れていき、、、
愛犬の介護をきっかけに
看護師を引退することにしました。
退職後は両親の会社を継ぎ、
今度は物質界でやりたい放題に
遊びまくり💦
ワイン会、パーティ、高級車、
高級ホテルのフィットネス通い、
海外旅行、政治家・芸能人との交流
自分の中でやり尽くしたあとは、、、
所有への関心も薄れ、
一転、ミニマリストへと変身。
進んだ道はというと、
スピリチュアルや
意識の探求
でした。
そして現在に至るんですよね。
もし、あなたも私と同じように
仕事への情熱を失い、
ただ働いているだけと
感じているなら、
思い切って、まったく違う道に
進んでみるのも、今の時代らしくて
楽しいかも知れません
人生何があるかわかりません。
ぜひ、あなたの考えを
コメントで教えてくださいね!