源 明子(みなもと の めいし/あきらけいこ)。

左大臣源高明の娘。

 

源 高明(みなもと の たかあきら)は、醍醐天皇の第十皇子(臣籍降下)。
つまり、源 明子さんは天皇の孫娘というご身分。

 

村上帝の天徳内裏歌合わせで源高明(当時は大納言)は、判者(勝敗を決める役)の左大臣藤原実頼を補佐する役目を務めました。

 

右方の講師である、源博雅さんは順番をすっ飛ばして別の歌を読み上げるという大チョンボをやらかしましてアワアワ状態に。

 

そんな天徳内裏歌合のハイライトは何と言っても20番目の恋の歌。

 

左:壬生忠見

[ こひすてふ わがなはまだき たちにけり ひとしれずこそ おもひそめしか ]

 

右:平兼盛

[ しのぶれど いろに出でにけり わがこひは ものやおもふと ひとのとふまで ]

 

アタクシが判者であれば、壬生忠見の勝ちとしたいところ。

藤原実頼は優劣付けがたく、持(もち 引き分け)としました。

 

が、敢えて勝敗をつけよと村上帝からの指示に、判者の二人とも困ってしまってワンワンワワ~ン状態に。

 

 

前置きが長くなっちゃったけど、そんな高貴な身分に生まれた源明子さん。

が、世に云う「安和の変」で源高明は大宰権帥として太宰府へ左遷。

 

後に、謀反の疑いは高明と確執を深めていた藤原氏の策謀であったと判明。

大河では藤原兼家を父の敵として呪詛していた源明子さん。

 

父親は事実上の流罪となり、叔父の盛明親王の養女となるも頼みの親王も没。

邸宅も焼けてしまい、後ろ盾を失い孤立無援となった高貴な姫君、源明子。

 

やがて藤原兼家の次女で一条天皇の母たる藤原詮子(ふじわら の せんし/あきこ)の庇護を受けることになり、詮子の末弟藤原道長に嫁ぐことに。

 

第二夫人という立場になりますが、高貴な出とはいえ、後ろ盾のない姫君に正妻の立場は望めなかったようです。

 

因みに藤原道長正妻は源 倫子(みなもと の りんし/みちこ/ともこ)。

父は左大臣源雅信。

 

註)

兼家さんに無心して入手した扇に向かって呪詛していたシーンは、脚本家の創作と思われます。

 

 

安和の変は大変な政治スキャンダルだったらしく、藤原兼家の第二夫人(道綱母)が書いた蜻蛉日記には、けっこう詳しく書かれているとかや。

 

源明子は妾妻という立場でしたが4男2女をもうけ、その血筋は皇族および五摂家に繋がっているのだとかや。

 

末子の長家からは歌人の藤原俊成・定家らが出て、血脈は冷泉家として今日にまで至っているのだとか。