藤原宣孝というご仁は陽気で気さくな人であったらしい。

宮中の行事で「神楽の人長(じんちょう)」をつとめたという記録も。

 

神楽とは神に奉納する舞楽のことで、人長は演奏を指揮し、舞を披露する役。

宣孝さんはデキる男だったようです。

 

が、そんな宣孝さんをちょっとディスった人物がいます。

ズケズケもの言う女、清少納言です。

 

奈良県にある金剛山は御嶽(みたけ)とよばれ、人々が精進潔斎をしてから参詣する修験道の聖地でした。

 

そこに宣孝さんが詣でた時の事。

 

右衛門の佐宣孝という人は、「清潔な着物を着て参詣すれば、何の問題もないだろう。御嶽の蔵王権現様がみすぼらしい着物で参れと言ったわけではあるまい」

 

と、おどろおどろしい(驚くほど派手な)着物を着て、息子とともに参詣したという。


御嶽から帰る人も今から詣でる人も、「見たことがない」とその姿に呆れたけれど、参詣から帰って1ヵ月ほどで筑前守(ちくぜんのかみ)に任じられたので、「(宣孝の)言葉に間違いはなかった」と評判になった。

 

と、もののついでに枕草子115段に書き留めています。

 

 

藤原宣孝といえば誰あろう、紫式部のご亭主。

式部とは3年ほどの結婚生活だったようですが、賢子という一女をもうけています。

 

宣孝さんが疫病にて没し、シングルマザーになった紫式部は藤原道長にヘッドハンティングされ、一条天皇の中宮藤原彰子サロンの女房として出仕。

 

清少納言と紫式部という「二人の才女」。

二人とも受領の娘にして、シンママながら宮仕えという似たような境遇。

 

かたや随筆家、こなた物語作家。

勝手な妄想ですが、ユーミンとミユキを想像してしまう。

 

紫式部が亡き夫をディスった清少納言を紫式部日記の中でディスり返したのも無理ないのかな。

 

その紫式部日記のなかでは、一貫して自虐的なのだとか。

彼女は他人の悪口の100倍くらい、自分の悪口も書く女なんだそう。

 

「私は寂しい女で、幸せではない。」と言っているのだとか。

思わず「悪女」の歌詞を思い出してしまう。