ひらけ!チューリップ
軍艦マーチに誘われて 35個の小さな玉に
望みをたくして きょうもまた 親指体操ひとはじき
オーッ ひらけひらけ パッとひらけ!チューリップ
今はほとんどの病院は完全看護体制ですから、患者の親族などが付き添いで病室に寝泊まりすることなどありません。
が、(かなり)昔は家族が患者と共に病室に寝泊まりすることはままありました。
くも膜下出血で入院中の女性。
危機は脱出していたので、付き添いの旦那さんは退屈気味。
午後になると、「親指のリハビリに行って来ます。」と病室を出て道路向かいのお店に行かれたたものです。
今の方には通じない言葉、「親指のリハビリ」。
年配の方ならピンとくることでしょう。
横浜みなとみらい の建設中の事ですから、随分前になります。
風雨が強いと作業は中止となり、職人さん達はオヤスミ。
立ち会いを命じられて現場にいたアタクシ。
臨時の休暇を楽しんだであろう職人さんの1人が、宿舎に帰って開口一番、「5万スッた!」。
パチンコの嗜みはないので詳細は分かりませんが、「5万」という金額におったまげ。
いくら実入りのいい職人でも、当時の5万円はかなりの高額だと思いますが、そんな金額がギャンブルに消えていくとは・・・。
まあでも、その頃は地方競馬場にはオジさん達がいっぱいいて、その腹巻きに100万円ねじ込んまれていたなんて姿は珍しくなかったけど。
どんな小さな町にもパチンコ屋さんはあった様に思いますが、ドンドン淘汰されて全国展開の大資本パチン店のみになっていきました。
開店前から客が並んでいて、夜はまるで不夜城のようだったパチンコ屋さん。
平日ですら、広い駐車場は満車に近いような状態だったパチンコ屋。
そんな栄耀栄華を誇っていたはずのパチンコ店がめっきり減った。
栄枯盛衰を見る思いがする。
いつの間にか、パチンコ店が姿を消し更地に。
今にして思えば、理不尽にもコロナ禍で悪者扱いされたパチンコ屋さん。
一旦、客足が遠のくと、なかなか客足は戻らないのかもですねえ。
3年も商売あがったりでは持ちこたえられないでしょう。
趣味が多様化して、パチンコで夢を追う時代は終焉したのか。
国民がビンボーになり、パチンコ代の余裕もなくなったのか。
ま、アタクシにとってはパチンコホールの代わりに地元スーパーが出現するのは好ましいことではあります。
これも昔話になりますが・・・。
映画だったかTVだったか、浅丘ルリ子さんの台詞。
パチンコ屋さんのネオンサイン看板の「パ」の文字が消えてたので、パチンコ屋さんに抗議の電話。
浅丘 「パの字が消えてるから早く直してよ!。」
パチンコ 「ちなみにどういう風に見えてるのか読み上げてみて。」
浅丘 「そんなこと言えないわヨ!」。
昭和の台詞ですよねえ・・・、ネオンサインなんて、まだあるのかなあ。
昭和は遠くなりにけり。