覚書みたいなものですが。 | この風は何処へと往かん

この風は何処へと往かん

風は好き。風邪は嫌い。春風は好き。吹雪は嫌い。そりゃそうだけど。

★楽しい楽しい修学旅行まとめ★


゜前書き。

1、大した内容ではアリマセン

2、自分自身の感想を起草しただけ、みたいなモノです

3、過度な期待はするなよバカヤロウ




●一日目

昼に学校集合。成田へ ドー ( ゜Д゜)ーン!

それだけ。え? それだけだってば。




●二日目

成田⇒(12時間)⇒フランクフルト空港⇒(1時間)⇒ワルシャワ空港

昼に空から見たヨーロッパは、建物と草原(森?)との色合いが美しかった。

夜に空から見たヨーロッパは、外灯が少なくて、静かで・・・

まぁ何にせよ、山がないという事は美しくも物足りない、そんな感じがする。




●三日目

ワルシャワ観光⇒(三時間)⇒クラクフ

ワルシャワはポーランドの首都だ。黄色が、シンボルカラーだとか。

そんなわけで路面電車もバスも黄色

日本ではこういったカラーリングは馴染まない。
これもまたヨーロッパの特徴なのだろうか。


ワルシャワに王家のあった時代、離宮のあった土地一帯が公園になっている。

「ワジェンキ公園」。

この風は何処へと往かん-ショパン像

ショパンの銅像があったり

この風は何処へと往かん-ふさふさリス

リスがふさふさ尻尾を揺らしていたり(中央ひだりに。)

この風は何処へと往かん-水鳥

池に白鳥(左)やカモメ(左上)や見たことない鳥(中央下)が居たり

この風は何処へと往かん-孔雀

孔雀が居たり(!


そんな広くて美しい、自然溢れる公園。

首都ど真ん中であるにも関わらず、こんなにも動物が多いのは、

きっとそれほど車が多くないからだとか、

人々が自然を愛し、共存しようとしているからなのでは、と思う。

土地が狭くとも、山々に囲まれていようとも。

日本はこの流れを見習うべきではないだろうか。

人間も自然の一部であることを忘れてはならない。


さて。ワルシャワは、歴史的建造物から民家に至るまでを第二次世界大戦中、

ナチスドイツの手によって爆★砕されてしまい、今あるものの多くは復元されたものだ。

終戦時は現旧市街地の中心に瓦礫の山があったそうだ。

石碑もある。・・・すまない、写真はないんだ。ちょっとToLOVEって(ぇ


市内観光はこんな感じかな?電車でスヤスヤ、クラクフへ。

つうか、せめて昼間に移動したかった・・・真っ暗、外灯しか見えん。




●四日目

クラクフ旧市街地⇒ヴァヴェル城⇒ヴィエリチカ岩塩坑

クラクフはヴァヴェル城の在る通り、その昔に王家のあった街だ。

ナチスドイツはこの城に司令部を置いたそうだ。

しかし直ぐにソ連軍が進撃。撤退を余儀なくされた為、

この街は壊される事なく、長い歴史を持つ建物が現存している。


ヴァヴェル城は内部にその王家の繁栄を示す博物館となっていて、

絨毯・石造・戸棚・椅子・壁紙・・・

14世紀に~とか16世紀に~とか言われてもワカラン。

北海道住まいでそんなものこれっぽっちもないものな。うん。

ちなみに説明してくれるプレートはドイツ語?とか英語。

英語読めて良かったと、つくづく思う。わけわかめ。


聖マリア教会については後述とする。


ヴィエリチカ岩塩坑。

深い。深い。地下120mくらいまで観光できました。深い。

周りの壁や床、天井は構成の八割が塩ではないかと疑えるほどの白斑。

つか塩って滑るのね。あぶねー・・・転ばねぇよ?

観光ルートには岩塩の彫像が幾々つもあり、どれもが古い。

偉人への尊敬の念、か。コペルニクス=西郷どん ?

古来、塩は高級品。食物を旨くする為の必殺アイテム。

他にも、余分な水分を抜いたり、長期保存の為に利用したり。

「わかんねぇ」って奴は胡瓜に塩振って食ってみれ。うめぇぞ。

ヴァヴェル城に見られるその王家の発展は、この塩が一角を担っていたのだろう。


ヴィエリチカ見終わって一言。


地震が無いってスバラシー


四日目終了。明日はメインイベント。









書くのがちょっち憂鬱、でもこれを書くために今があるのだから・・・

ちょっち長い事書きそう。前半終了ってことで。

こばと。第九話を見終わる頃には仕上げます!(ぇ