“再訪で叶えました!”/➃「土浦歴史探訪リターンと駅前で映画鑑賞を」篇
まだ時間は午後1時にもなっていないが,外は暑いし疲れも出始めているからしばらくちょっとでも涼しい所でゆっくりしたいな
してっ再び目にする今度こその施設です
「入館料」の200円を握りしめて受付へ寄りましょう
いちおうスタッフにも口頭で確認してから俺が気にする資料や展示物を撮影しておくことにします 写真撮影だけじゃなくSNSへの掲載も可能とはそんなに明示されていないかな
幕府の老中をつとめた藩主もいたからかな。「仙台伊達家」も関係しているとあれば,残しておかねば
さらにけっこう歴史の話題に取り上げられることがある「小田氏」関連資料となれば
66 小田氏14代政治を描いた肖像(寿像)
お だ まさ はる しょう ぞう です。寿像とは、当人が生きている間
小田政治肖像 に描かれた肖像です。図像の上部には、
円覚寺の前住持叔悦禅懌が、政治の要
茨城県指定文化財 望に応じて寄せた讃が記されています。
大永2年(1522) 関東の動乱が激しくなるなかで、政治
法雲寺所蔵(当館寄託) は味方する相手を度々変えることで、
小田氏歴代のなかで最大の領域を獲得
住友財団助成修復品 しました。
こちらは“最弱”なのか“最強”なのか、評価が分かれるあの武将ですな
67 小田氏15代氏治を描いた肖像(寿像)
お だ うじ はる しょう ぞう です。左手に数珠、右手に経巻を持ち、
小田氏治肖像 経箱にも7巻の経巻が置かれています。
経巻は全部で8巻あり、法華経と考え
茨城県指定文化財 られます。氏治は政治の名跡を継ぐと、
天正16年(1588) 近隣武家との勢力争いを繰り広げますが、
法雲寺所蔵(当館寄託) 度々居城である小田城を追われました。
態勢を立て直すため、氏治は土浦城な
住友財団助成修復品 どに移りました。
そしてこの戦国武将の名前を知らない人はいないだろう
71 武田氏が諸役所(関所)へ宛てた印判
たけ だ しん げん しゅ いん じょう 状で、「小田家給人」の領内通行を認め
武田信玄朱印状 た□所(通行□司書)です。小田氏の
家臣田土部氏の□□と伝わる家に伝来
土浦市指定文化財 しました。当時、武田氏と小田原北条
永禄10年(1567)丁卯5月晦日 氏は同盟を結んでおり(甲相同盟)、
当館所蔵 小田氏も小田原北条氏に帰属していま
した。本資料はこのような背景で発給
されたと考えられます。
ディスプレイは大好物
『映画「水深ゼ0メートルから」“特別先行上映舞台挨拶”』篇(20240418-20)