“歴史を活かしてます”/➃「土浦歴史探訪リターンと駅前で映画鑑賞を」篇 | 杜のイーグルスのブログ

“歴史を活かしてます”/➃「土浦歴史探訪リターンと駅前で映画鑑賞を」篇

見学時間は余計なくらいあるけど,それに見合うほどの体力の裏付けはなさそうだ・・・

 

 

まあっ一度は見学している城跡だから,とりあえず“初めて”の。前回行けなかった処から廻ることにしようバイバイ

 

 

観光用写真なら「天守閣」やら「櫓門」など見栄えのするスポットばかりになると思っているが,歴史好きとすれば他の人たちが気にしない&目も向けないポイントにもカメラを向けてしまいがちカメラキラキラ

 

 

まあっ時期的にはちょっと早いが季節感を出している色合いも記録しておいてあげよう🎏

 

 

それでも今日は5月にもなっていないのに,気温が高くて疲れも加速度的に増していくようだから早めに涼しげなところに行ってしまいたい汗

 

  史 跡  土浦城址及び櫓

         指定 茨城県教育委員会

 

 

これらのメインの建造物は二度目だろうと,今日の分の写真は残しておくかな。違った写真が撮れているかもしれないし。「霞門」の潜戸なんかもね虫めがね パンフレットには・・・

 

>  かすみ もん

 霞 門

>  霞門は櫓門とともに江戸時代から残る

>土浦城の建造物です。藩主の変遷や城の

>整備を記した「土浦城記」には、貞享3年

>(1686)2月の項で、本丸北側の亀井郭

>に通じる門を「加数味之門」と表現してい

>ます。

>  令和3年(2021)に解体修理を行な

>い、東櫓に続く土塀も復元しました。

 

>■構造型式  木造桟瓦葺き

>  建築形式  薬医門

 

 

そこから今年1月上旬(予定)になるまでは改修中で見学できなかった「東櫓」も今度こそは中へ入れるらしいモグラ

 

 土浦市立博物館付属展示館土 浦 城 東 櫓 

 東櫓は平成10(1998)年に江戸時代の建築技術を

かして復元され、博物館の付属展示館として茨城県指

定史跡「土浦城跡及び櫓門」を紹介しています。              

■開館時間 Hours

 午前9時~午後4時30分 9:00AM-4:30PM

■休館日                     ■入館料

 月曜日、祝日の翌日(翌日が土日の場合は□□)     一  般 200円(150円)

 年末年始(12月28日~1月4日)

 

 

そうそう訪れることもないだろうし,歴史ある建造物は何度でも写真に残しておこう! 鬼瓦には土屋家の家紋があしらわれているね虫めがね

 

 

門をくぐって外側に出てみれば・・・

 

  土 浦 城 跡 お よ び 櫓 門

          県指定史跡 第1号

          土浦市中央一丁目

          昭和27年(1952)11月18日  指定

          管理者 土浦市

 土浦城は、一名亀城ともよばれ、平城で、幾重にも巡らし

た濠を固めとする水城でもあった。城は、城跡に指定されて

いる本丸・二の丸を中心に、三の丸・外丸のほか、武家屋敷

や町屋を含み、北門・南門・西門を結ぶ濠で囲む総構えの規

模をもつものであった。

 江戸時代の建物としては、本丸表門の櫓門・裏門の霞門、

二の丸と外丸の間に移建された旧前川門(高麗門)があり、

復元された建物としては、東櫓・西櫓がある。

 戦国時代には、城主は若泉氏、信太氏、菅谷氏と変遷した

が、織豊期には結城秀康の支配下に入った。江戸時代の城主

は松平(藤井)氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平(大河内)

氏と変わったが、土屋政直が再び入城して、以後明治維新に至

るまで土屋氏(9万5000石)の居城となった。

 明治以降、本丸跡は土浦県庁、新治県庁、新治郡役所、自

治会館などに利用されたが、現在は二の丸跡の一部とともに

亀城公園となっている。

                    平成11年(1999)6月

                    土浦市教育委員会

                    土浦亀城ライオンズクラブ寄贈

                    土浦亀城ライオネスクラブ寄贈

 

 

「本丸」エリアをひと回りして「西櫓」まで歩いてきましたランニング

 

                        に し    や ぐ ら 

 土浦城 西櫓

 

由来 本建造物は、十七世紀初頭元和六・

   七年頃城主西尾氏の時代に本丸土塁

   上に東西の櫓が建立されたとされ、

   西櫓はその一方の櫓である。

    土浦城は、その後土屋氏の居城と

   して明治の廃藩置県に至るまで幕藩

   政治における土浦の中心、象徴とし

   て存在していた。

    土浦城内の建造物は、明治以降、

   本丸館を始め多くの建物が火災や移

   築、取り壊しにより失われ、昭和・

   戦後に至り、本丸には、太鼓櫓、霞

   門、西櫓を残すのみとなった。

    そして、この西櫓も老朽化と昭和

   二十四年のキテイ台風により、小破

   し、昭和二十五年に復元を前提とし

   て解体された。

    その後復元を見ず今日に至り土塁

   上には礎石のみが残され、僅かに往

   時をしのばせるのに過ぎなかったも

   のを、市民の浄財をもとに復元した

   ものである。

       平成四年七月

              土浦市教育委員会

 

 

さあっここから出れば,「市立博物館」だなグラサン

 

『映画「水深ゼ0メートルから」“特別先行上映舞台挨拶”』篇(20240418-20)