②「千波湖エリアをレンタサイクルで走る」篇 | 杜のイーグルスのブログ

②「千波湖エリアをレンタサイクルで走る」篇

 

近頃は「刀剣女子」なる言葉もあるというが,俺はそれほどでもない。それより問題なのは展示物の写真撮影ができるのかどうかということ。

 

 

展示物の何たるかもあるが,作者や関連する人物名に見入ってしまう。

 

龍図                   6代 治保筆

 

  水戸徳川家6代・治保は、字を子安、幼名を鶴

千代と称し、舜山と号した。5代・宗翰の長男と

して宝暦元年(1751)小石川邸に生まれた。治保

は歴代当主の中でも博学で知られており、特に書

家としての秀れた才能を発揮し、文人として知ら

れている。謚は文公。

  当主であったおよそ40年の間、大日本史の校

訂に努め、完成を急がせた。立原翠軒、

高橋坦室、藤田幽谷、川口緑野、青山雲竜、

長久保赤水、小宮山楓軒などの学者を重用したこ

とでも知られている。

  長男の7代治紀のみならず、孫の8代斉脩と9

代斉昭兄弟の教育に自ら関り、2代光圀以来の水

戸徳川家の漢風文化の継承に大きな影響を与え

た。

  本品は、絹本着色。上り龍と下り龍の画が双幅

に仕立てられている。寛政3年(1791)春の作。

 

 

龍図                   8代 治保筆

 

  齊脩は、寛政9年(1797)7代治紀の長男として

江戸の小石川邸で生まれた。幼名は鶴千代、字は

子誠、号は鼎山、天然子、信天翁、瓢亭などと名

乗った。文化13年(1816)に8代目の当主とな

り、文政8年(1825)権中納言に任じられた。幼

い時より英明で知られ、2代光圀の再来といわれ

ることもあった。『垂裕閣法帖』(全 16 巻)を

編纂したことで知られる。

  正室は11代将軍・家齊の女・美子(峯壽院・

孝文夫人)。幕府の支援を受けて、財政の立て直

しを期待されながら、文政 1 2 年(1829)33 歳

という若さで亡くなり、哀公と謚された。

  本品は絹本着色。文化12年(1815)夏の作。

 

 

唐木雲龍彫濃梨子地心越銘硯箱

                      2代光圀所用

 

  本品は、唐木の蓋に雲龍文様を彫り、内部は梨

子地(梨の実の肌のように漆地に金を蒔いたも

の)仕上げ、箱底裏面に心越が銘文を記し、光圀

に贈った品である。

  心越禅師(1639~1695)は中国の明か

らの帰化僧。光圀は天和2年(1682)に江戸

で師の法話を聴いて感銘をうけ、天和3年(16

83)水戸に迎え、亡くなるまで深くその教えに

帰依し、多くの影響を受けた。

  中国様式に長崎あたりで□えられた品。

 

 

金小札緋縅具足  9代斉昭所用

 

水戸徳川家の墓所である瑞龍山の宝蔵に納

められていた斉昭の具足。兜は百二十間、兜

の正中には「進思盡忠」の銘が記されてい

る。『孝経』事君章・第 17 にある君主に仕

える者の心得を説いた言葉で、「君主に仕え

る時は忠義を尽くそうと努めなさい」とい

う意味。さらに「退思補過(君主の前にいな

いときは君主過ぎたることを補うように努

めなさい)」と続いている。

  吹返しに六葉葵紋付唐草文様の透かし

彫りが施され、お譲り品の明珍信家作「金小

札緋縅具足」を模して斉昭が誂え、「追鳥狩」

で着用した。その雄姿は「追鳥狩絵巻」や

「徳川斉昭騎乗図」に描かれている。

 

 

素鉄勝色縅具足   4代 宗堯所用

 

  宗堯(1705-1730・成公)は髙松松平家3

代・頼豊の長男。水戸徳川家初代・頼房

の玄孫。伯父にあたる水戸徳川家3代・

綱條の跡継ぎになるため養子となり、後

に水戸徳川家の家督を継ぎ、綱條の孫

娘・美代姫を正室に迎えた。

  縅色の「勝色」は、「かちんいろ」とも

いい、「褐色」とも表記する。鎌倉時代か

ら武士に愛された紺色の一種。

  兜は「常州住早乙女家貞作」の銘が

ある六十二間筋兜、常陸の国の甲冑師の

□□□

 

 

これは別な面からも記録していこうテレビ

 

黒地葵紋金蒔絵印籠   2代光圀所用

 

  印籠は古くは印や印肉を入れる携帯用

の容器として使われていたが、江戸時代に

は薬入れとなり、また装飾品としても愛用

された。印籠の左右の紐穴に緒という紐を

通し緒締・根付などの部品を付けて、帯に

挟んで使用した。

  本品は三つ葉葵の御紋が金蒔絵で両面

に施されており、正装用もしくは儀礼時に

用いるために江戸時代初期に製作された

もの。また全体が5段に分かれるように造

られており、内部は全体に梨子地の蒔絵が

施されている。

  2代光圀の遺品として、水戸徳川家墓所

の宝蔵に納められていた。

  テレビドラマ「水戸黄門」の小道具

印籠は本品がモデルである。

 

 

「新館」を見終えたら通路を渡って「本館」へと来ました。ここも「パーテーション内」の写真撮影はOKらしい。

 

  自動車 ローバー75

           1955年式

      徳川圀順・圀齊所用

 

  水戸徳川家十三代当主・圀順(1886~196

9)から十四代圀齊(1912~1986)へと受け

継がれ、愛用された自動車。

  英国ローバー社製。このローバー75は、

英国の伝統と革新の車として知られ、格調

高いヨーロピアングリーンのボディと斬新

なデザインがされを物語っている。

 

 

    【敷地の歴史】

  徳川博物館が建つ緑岡の

地には、かつて光圀の茶室

「高枕亭」が建てられ、第

9代・齊昭の時代には、藩

主の茶園が設けられ、齊昭

の7男で第15代将軍となっ

た徳川慶喜もここを訪れて

います。

  維新後は水戸徳川家の邸

宅として使われてきた由緒

ある土地です。

 

館内の見学時間は短くともしばらく展示されていた系図の前に立ち止まってしまった虫めがね

それからは時間も気になるので退出いたします。こっちの方が写真に撮りたくて仕方なかったしカメラキラキラ ヘッドマークも光っているしねキラキラ

 

         注意

   芝刈りロボット

  格さんお仕事中!

 

 

ベンチで休んでいるお二人も鈍く光っている。お隣に座ってみたりして!?

 

 

自転車を停めていた場所のそばの自動販売機も特別仕様です

 

「鉄ヲタの小さな劇場で映画鑑賞の旅」篇(20241020)