「ここでの予定は」//❶「まずは『小さな旅ホリデー・パス』エリアで」篇
ここでの滞在予定時間の2/3を使い,あと1時間ばかりとなりました⌚
あとは駅へと戻る時間と次の「目的地」へ移動する前に食べて行こうか考えているところ。
ほん まる ご てん あと
本丸御殿跡
本丸の平坦地には、御本城御殿(
本丸御殿)と呼ばれる建物が存在し
ていました。
松平定信が藩主時代の文化5年
(1808)に作成された「白河城御櫓絵
図」中の「御本城御殿平面図」では、
藩主の居所と政庁を兼ねていたと
考えられます。
畳数は707畳とする記録があり、
かなりの大きさだったことがうか
がえます。
白河市
まあっ今日は再訪となる「三重櫓」への登城は止めて,「前門」をくぐって「竹之丸」に出てみます。
このまま石段を下りて「清水門」方向から帰るとしましょう
疲れた体には登らないのは助かるが,こんな時こそ足元に気を付けなければ
たけ の まる あと
竹之丸跡
本丸の東に位置し、外周に石垣を巡らせた曲輪で
す。北東に平櫓(角櫓)、南東に二重櫓がありました。
「白河城御櫓絵図」には、これらの櫓の立面図と平面
図が存在し、往時の姿を伝えています。
絵図等では、曲輪内の建物の存在は明確ではありま
せんが、平成3年に実施した発掘調査では、東西方向
に延びる礎石列や石組みの水路跡が確認されました。
東日本大震災により南面石垣が崩落しましたが、修
復に伴う発掘調査において、現在の石垣面から約7m
北側の位置に、会津支城時代(1590~1627)に構築
されたと考えられる石垣が発見されました。
白河市
「本丸」と「二之丸」との間に「清水門」で左右に隔てられた「水堀」が設けられている。
しみ ず もん あと
清水門跡
本丸の正面入口にあたり、二之丸と本丸をつなぐ重要な門で、高さ約4.5mの
石垣の上に櫓をわたす「櫓門」の形式です。瓦葺きで高さは約11m、間口は約13m
ありました。現在、礎石が残っているのを確認することができ、二階櫓部分へ出
入りするためと思われる石垣両側の土手も残っています。
柱には槻(欅のこと)が使用され、太いものでは2~3尺(0.6~1mほど)角の木
が使われていました。これは城内の門で最大の太さとなっており、本丸入口の清
水門の重要性がうかがえます。
なお、清水門の管理などについて定めた享保20年(1735)の記録が残されてお
り(前橋市立図書館蔵「白河藩記録」享保20年1月晦日条)、それによれば門は「暮
六」(午後6時~7時)に打つ太鼓で閉門することになっていました。
白河市
なんか、復元に向けて募金のチラシもあったが,俺にとってはまずは「白石城」の角櫓の再建の方が先だな
この先は「二之丸」である。
そろそろ駅へと向かうタイムリミットに近づいているけど,その後のスケジュールがとてもタイトだから急いで「昼食」にしていきたいな
以前来た時には名物の麺類だったから,今日は
東北ローカル線の旅㉛’「いま一度歴史探訪を」篇(20231112)では