「まだまだあるで」//❶「まずは『小さな旅ホリデー・パス』エリアで」篇 | 杜のイーグルスのブログ

「まだまだあるで」//❶「まずは『小さな旅ホリデー・パス』エリアで」篇

滞在時間は長めに取っているのであるが,それでも見学場所は駅を挟んで両側にあるので最初にはちょっと離れていて,かつまだ未見の「目的地」からにしますバイバイ

 

 

間違わないように駅から伸びる「小峰通り」にルートを取り,「白河市役所」をポイントにして歩を進めて来ました走る人

 

     白川城主結城宗広公と関川寺

 

  白河結城氏の初代祐広は、鎌倉時代後期に白河に下向したと伝わる。二代目の結城宗広の時に「白

川城」を築き本城として、以後数百年にわたって白河結城氏の拠点となった。宗広の嫡男結城親朝が、

阿武隈川に面した独立丘陵に築いたのが「小峰城」で、以後一族の小峰氏の居城となり、後に白河結

城氏の本城となる。

  現在、関川寺境内地の西側から北西にかけて、土塁や空堀が残されている。

  江戸時代の文化五年(一八〇八)に作成された「白河城下絵図」の記載から、ここは谷津田川の河

岸段丘を利用した東西に長い方形居館であったと判断される。規模については、絵図からの推定値で

東西二二〇メートル、南北一八〇メートルほどと推定されている。

  館跡の具体的な年代は明らかではないが、遺構の規模・形態などから、その始まりは鎌倉時代後期

頃の結城氏の居館であった可能性が考えられ、現存する土塁が際立って高いことなどから、戦国時代

にも使用されていたと推測される。現存する土塁・空堀は、白河市の史跡に指定されている。

  関川寺は「白川城主結城宗広」が延元元年(一三三六)に七堂伽藍を造営寄進し、結城家の菩提寺

として開基したと伝えられている。

  曹洞宗の古刹で、中世に白河を本拠とした白河結城氏の菩提寺として古くは市内の関川窪に所在し

たが、一六世紀末に現在地に移転し、その時に洞光山名称を東光山に改めたという。

  明和二年(一七六五)火災で七堂伽藍を焼失。その後の慶応元年(一八六五)に烏(からす)火事

といわれる火災に見舞われるなど再参火災で堂塔を焼失したが、再建され現在に至っている。境内に

は、結城宗広が陣没、延元元年(一三三八)五輪塔碑の墓所がある。

  関川寺では、昭和十三年(一九三八)、六百年大遠忌法要にあたり、宗広公の遺徳を市民あげて顕

彰し、記念事業として後世に伝えるため、『結城廟』(本堂左手に落慶)を創建し、結城祭として盛大

に挙行した。白川城の主郭には、福島県西白河郡教育部会の発起にて、福島県教職員・児童・生徒一

同による『忠烈碑』が建立された。

  昭和六十二年(一九八七)秋、創建後五十年が経過した「結城廟」の破損が甚だしく、六百五十年

大遠忌法要墓前祭の準備等に際し、結城廟の大修理(内部座禅堂の増改築)を世話人・檀信徒各位を

始め、白河観光物産協会・白川商工会議所・結城会・商店会連合会等の関係団体の結束のもとに完修、

東光山関川寺での『結城宗広公六百五十年大遠忌法要墓前祭』が、一大総挙となり立派に執行された。

 「結城廟」(手前正面道)左側の大樹『結城桜』・「柳の大樹」の双樹が春陽に映える色彩は、一見に

値する観光の一翼を担っている。

 

    『履歴板建立』

     贈呈

    ・国際ロータリー

             第二五三〇地区

     白河西ロータリークラブ

           創立三十周年記念

         歴史文化研究愛好会

    ・公益財団法人

           白河観光物産協会

    ・東光山関川寺

              総代・世話人会

 

    平成二十八年六月二日

 

 

● 現在地から境内に入り結城宗広公像に参っていこう。

 

 白川城主結城宗廣公

 

 開 基 結城宗廣公墓所

 

墓地の間を西側に抜けて行く草生した道をちょっと歩けば両側に「土塁」「空堀」があった処で立ち止まる注意

 

 

● 現在地は「土塁・空堀の範囲」内のはずなのだが虫めがね

 

 

市指定史跡    かん      せん      じ        たて      あと

              関 川 寺 館 跡

 

                            指定年月日 平成27年3月30日

                                      所  在 地 白河市愛宕町ほか

                                      所  有 者 関川寺

                                    指 定 面 積 2,335.46㎡

 

  関川寺館跡は、現在の関川寺から白河市役所にかけて存在した中

世の館跡です。

  関川寺の西側から北西部分には、土塁跡と空堀跡が現存していま

す。館跡の形態は、江戸時代後半に描かれた「奥州白河城下全図」

の記載から、谷津田川の河岸段丘を利用した、方形居館であったと

考えられます。館の規模は、東西約220m、南北約180mと推定さ

れます。残存する空堀は、幅15~20m、土塁跡との比高差は最大

で、約10mになります。

  年代は、遺構の形態から、鎌倉時代後期に白河結城氏の居館とし

て築かれたことが始まりと考えられていますが、残存する土塁が際

立って高く、戦国時代の終わり頃の特徴も見ることができます。

  白河結城氏の館の様相を明らかにし、白河中世史を解き明かす

上で重要な遺構です。

                                    白 河 市

                          寄贈 白河ユネスコ協会

 

 

そこから「関川寺」の外側をぐるりと回り,観光案内地図で施設があるらしいルートを歩いて行くのが良かろうかたつむり

 

       歴 史 的 風 致 形 成 建 造 物

 

                                指 定 番 号 第 32 号

                                指定年月日 平成24年3月12日

 

                      勝 軍 地 蔵 堂

 

  勝軍地蔵堂は、明治初年(1868)に廃寺となった真言宗西光寺の敷地に残された勝軍地

蔵を安置した堂宇が現在に引き継がれているものである。堂宇は、小柳氏の先祖が払い

下げを受けて歴代にわたって管理しているものである。

  堂宇は、棟札によれば天明5年(1785)の建立で、屋根中央に宝珠を載せ、屋根が四

方に流れる宝形造りの形式である。堂内には、正徳2年(1712)に製作された像高約130㌢

の銅造地蔵菩薩坐像(勝軍地蔵)が安置されている。勝軍地蔵は、西光寺で管理していた

愛宕神社(新蔵に所在)の本尊であり、愛宕町の町名もこれに由来すると考えられる。

 

              白 河 市

 

 

事前に観光ポイントとして把握していた途中にもいろいろとあるものだひらめき電球

 

    あた  ご まち

  愛宕町

町にあった西光寺(現在は勝軍

地蔵堂のみが残る)が、現在の白

井掛下にある愛宕神社の別当(代

表)を務めていたことが町名の由

来と伝わります。「白河風土記」(一

八〇五年完成)によれば、家数は

七八軒とあります。

  他の町は城下町特有の「カギ形」

が町と町の境に設けられているの

に対して、愛宕町は町の中央部(関

川寺の入口)に「カギ形」がある

変則的な形で、ここを境に西を上

愛宕町、東を下愛宕町と記す城下

絵図もあります。

            白河市

 

 

福島県指定文化財(建造物)                        指定年月日 平成5年3月23日

しら  かわ                                 せいきょう かい せい どう             所  在  地 白河市愛宕町

白河ハリストス正教会聖堂                     所  有  者 白河ハリストス正教会

                                                                       大   き  さ 間口8.17m 奥行14.44m

                                                                                  面積101㎡

 

  白河ハリストス正教会は明治11年(1878)に発足した教会で、現在の聖堂は大正4年5月に完成し

た、2代目の建物です(※)。

  この聖堂は、木造平屋、一部2階建てで、函館ハリストス正教会聖堂、豊橋ハリストス正教会聖堂の建

設に携わった正教会の聖職者である河村伊蔵の建築監督のもと、地元白河の大工棟梁中村新太郎らが建

築工事にあたり、当時の金額で約 4,000 円を要しました。

  建物の屋根は、入口の啓蒙所部分が切妻造、奥の至聖所は八稜屋根で、中央の聖所は緩勾配の方形屋根

を二段にかけ、中央部にはドラムの上にクーポルと呼ばれる

丸い屋根を重ねています。室内は白漆喰、聖所の天井には球形

三角形8個を組合わせた見上げのドームを構成し、ビザンチ

ン様式の雰囲気を漂わせています。

  聖堂内部には、イコン(聖像画)が飾られています。ロシアか

らもたらされたものと茨城県出身の女性イコン画家、山下り

んが画いたもので、48点が福島県重要文化財に指定されてい

ます。

 

※初代の会堂は明治15年(1882)の建築と伝わるもので、現在も敷地内

  南西隅にあり、司祭館として利用されています。

                           白河市教育委員会

 

 

 

してっ、ここは立ち寄っていた方が良かろう。前に石巻市の同系統の教会堂も見学していたからね。

 

 

まだ30分しか使っていないが,次は駅の向かい側にあるし体力があるうちに行きましょうあせる

 

東北ローカル線の旅㉛’「いま一度歴史探訪を」篇(20231112)では