①「雪の道を日本海側へ」篇 | 杜のイーグルスのブログ

①「雪の道を日本海側へ」篇

まだ「宮城県」内の休憩パーキングエリアを出た頃にも雪が舞い始めていたが,さらに県境に向かっていくにつれてもやがかかったように景色さえも見えなくなって来たびっくり

 

 

まあっこの近くにはスキー場もあるので季節になれば雪が積もっていてもおかしくはない🎿

 

 

つい数日前には空振りだった天気予報も今度は予報通りとなったことに,またしっかり雪&寒さ対策を準備してきた身ではホッとしている部分もあったりしてDASH!

 

 

一方遅延もそうだが,自分が運転していることも想えば無事「目的地」に着くことが最優先の課題になってくる。ついスマホでこれからの天気模様の情報を検索してしまうスマホ

 

それでも平地になって来れば市街地も積雪がなくて一安心。

 

 

そしてまもなく「鶴岡」駅が見えて来れば,20分くらいの遅れは問題ではないウインク

 

 

駅前で用事を済ませてから,傘を差しながら歩いて行きます雨

 

 

まだ映画まで2時間もあるので,のたのたと時間を潰しつつ行動するとしよう。

 

 

駅に寄り道してみよう。

 

  この像は、「渋谷ハチ公像」の試作品です。

 

 鶴岡ハチ公像の物語

 

  昭和七年のこと「今は世になき主人を待ち

兼ねる七年間」という見出しで中央新聞に

ハチ公が紹介されると渋谷駅前には人だかり

ができ今日の繁栄の礎になったのですが、全国

に知らせたのが鶴岡が生んだ動物愛護家の

斎藤弘吉氏でした。その後も忠犬ハチ公像

建設の発起人となり昭和八年には除幕式が

挙行されていますが、ハチ公は翌年三月八日

に十四年の生涯を閉じて青山霊園にある上野

英三郎東大教授のお墓の隣りに眠っています。

  戦争の為に溶解された銅像の再建を望む声

が高まり、弘吉氏は初代像の製作者安藤照氏

の御子息で彫刻家の士氏に依頼しましたが

東京大空襲で自宅を焼失した為に他所の家

を借りて制作されたのがこの石膏像ですと

士氏は語ってくれました。

  その家が旧藤島町出身で大映の重役だった

佐藤圓治氏(女優三条美紀さんの父)に所有

され、ハチ公像は湯野浜温泉の冨士屋旅館に

譲渡されましたが廃業を機に太田土建会長に

引き取られ昭和六十年旧藤島町役場庁舎の

竣工を記念して寄贈されていたのです。

  平成十七年の市町村合併によって恩人の

故郷鶴岡のふところに抱かれることになり

「ハチ公像 恩返しの旅」は完成して市民への

温かい贈り物となったのです。

 

 

分かっちゃいるけど俺が入りたい食事場所はなく,また時間的にも11時を過ぎて直ぐではまあいいか。この時間でずっと寄れなかった古書店も行ったし,そろそろいいかな。

 

  鶴岡まちなかキネマ

    ⇦ 200m先

 

 

すこし遠回りしたら・・・

 

 「奥の細道内川乗船地跡」

 

  元禄2年(1689)の春に江戸を出て、陸奥から出羽を

めぐっていた俳聖松尾芭蕉は、6月10日(陽暦7月26日)

に羽黒山を下り、鶴岡城下の庄内藩士長山重行宅で地元

の俳人たちと俳諧を楽しむ3日間を過ごした。13日には

この内川の船着き場から船で酒田に赴いた。

  当時の酒田通いの船は、内川より赤川を経て最上川河

口の酒田まで7里(約28km)、ほぼ半日を要したという。

 

                       鶴岡市・山形県奥の細道観光資源保存会

 

 

ああっ雨の中 気も滅入るのに何でこんなに歩いているんだと悔やみながらやっと映画館に着きましたとさキョロキョロ

 

『「鶴岡まちなかキネマ」映画鑑賞高速バスプラン」篇(20231130)にて