"ここも『仙臺領』";❻第2日目「龍ケ崎市内」篇♯04
それでは「龍ケ崎市歴史民俗資料館」の見学を始めることにするか![]()
ここに来るまでずっと歩いて来たし,喉も乾いて 体も熱くなっているからちょべっとクールダウン
「入館料」が無料なのは嬉しいо(ж>▽<)y ☆
> 龍ヶ崎地方の領主
>鎌倉幕府の滅亡後、龍ヶ崎地方は建武政府や南朝方の支配を経て、足利氏の統治下に入った。足利氏は京都に幕府を開く一方、関東支配のため鎌倉に鎌倉府を置き、一族を鎌倉公方とし、その補佐役の関東管領に上杉氏を任じた。
>14世紀後半以降、龍ヶ崎地方には鎌倉幕府の関係者が多く配置され、その強い影響を受けたが、16世紀には、土岐・岡見・管谷氏らが勢力をのばしていく。
リーフレットを見れば,館内には『1階展示室』には原始・古代から近代までの龍ケ崎の歴史や企画展示がされている。
その中で俺が気になるのはジオラマなどで再現された城跡など![]()
屋 代 城
八代町にあった屋代城は、中世の領主、
屋代氏の居城である。のちには土岐氏や
北条氏も使用したとみられる。昭和58年
(1983)から4年間行われた発掘調査で、
広大な遺構が確認され、多量の遺物が出
土した。
現在、城跡には、土塁の一部が残って
いる。
調べてみれば,ここから3km以上もあるので今日は模型を見るだけ![]()
"縄張り"や鳥瞰図を見るとよく分かる。 そして今日龍ケ崎市まで来たメインの目的![]()
> 仙台領柱(市指定文化財)
>龍ケ崎村に陣屋(代官所)を置いた仙台藩主伊達政宗は、村のいくつかの出入口に門を建てたことが古い絵地図に出ています。
>この「仙臺領」と刻まれた石柱は、米町の布川道の入口に建てられていた門柱を薬師堂の位置が変えたときに八坂神社の脇に移されました。
>さらに、当館開館に合わせて常設展示室に移され、仙台藩の支配の時代を示す貴重な資料として展示しています。
これまでも,いくつもの旅行計画を重ねて「仙台藩」の領域を,「二十四要害」などを訪ね歩いて来たが,今回の龍ヶ崎市まで来たのはこれを見るため♪(*^ ・^)ノ⌒☆
> 町場のようす
>仙台藩主伊達政宗は龍ヶ崎を関東領1万石の支配地として陣屋を建て代官を置いた。城下町の形をとった、東西に長い街並みの両端の出入口には、薬師堂を建て、番屋を置き、領柱を立てた。さらに、馴馬方面からの入口に当る丘の上に愛宕神社を建て、領民の防衛と行楽の場所とした。下町の小林真山翁の絵日記「老いの句利言」にも当時の様子がしのばれる。
゜仙台伊達家」の所領はよく「62万石」と言われるが,現在の宮城県のほとんどと岩手県南部,福島県の沿岸北部の一部はメインであるが,茨城県や滋賀県にも"飛地"があったのはどのくらいの人が知っているのだろう。
> 仙台藩の支配
>慶長11年(1606)徳川家康より仙台藩主伊達政宗は常陸国河内郡の内龍ヶ崎村を含めた13か村、信夫郡の内13か村、計26か村(石高1万56石余)を与えられ、龍ヶ崎村に陣屋を構えて代官を置いた。その後寛文3年(1663)には領地替えが行われて、河内郡の内龍ヶ崎村1か村、信夫郡13か村、筑波郡3か村、豊田郡1か村の計18か村(石高1万385石余)となり幕末まで続いた。
昔 聞いたところによると関東の領地は「江戸滞在時の経費」,近畿の領地は「在京の費用」として与えられたとか。近畿まではナカナカ行けないが,東京からも近い茨城県内にはチャンスがあったら来たかったのですな![]()











