私は先天性のリンパ管奇形を持って生まれ、左頬にリンパ管腫があった。
2歳のときと、小学4年生のころ。
外科的手術で腫瘍を取り除いた。
それで終わったと思っていた。
少なくとも、「大きな問題は解決した」と、どこかで思い込んでいた。
その後も、顎下や首周りが腫れているような感覚はずっとあった。
重たい感じ、張る感じ、はっきりしない違和感。
でも、物心ついた頃からずっと一緒にある感覚だったから、
「こんなものか」
「生活はできている」
そうやって、自分の身体を納得させてきた。
大人になってから、症状はよりはっきりした形で現れた。
耳下腺が腫れた。
顎下に唾石が溜まった。
顎下が大きく腫れ上がり、抗生剤の点滴を受ける事態にもなった。
そのたびに医師の言葉は、ほぼ同じだった。
「原因ははっきりしない」
「根本的に治す治療は難しい」
「今回は対処療法になります」
誰も嘘をついているわけではない。
医師たちは、その時点でできる最善をしてくれていた。
それでも、
“治らない前提”で話が進んでいくことに、
私はどこか置いていかれる感覚があった。
点滴が終わり、症状が落ち着けば、日常に戻る。
そしてまた、しばらく何も起きない時間が続く。
まるで、
「波が来たら耐えて、引いたら忘れる」
それを繰り返しているようだった。
硬化療法も受けた。
喉が詰まるような感覚も、何度も経験した。
それでも結局、
「持病だから」
「完全に治すのは難しい」
その言葉の中で、話は終わっていた。
数年周期で何かしらの症状が出て、
その都度、対処治療を受ける。
原因も、ゴールも、はっきりしないまま。
そして、ようやく
シロリムスという薬に辿り着いた。
それは、「治ります」と言われたからではない。
ただ、初めて
“流れを変えられるかもしれない選択肢”
が示された気がした。
もし、この一連の症状が薬によって改善するとしたら。
それは身体が楽になる、という話だけではない。
「仕方がない」と飲み込んできた時間が、
少し報われる気がしている。
これまでの私は、
本来の自分の何割で生きてきたのだろう。
そう思うと悔しさもある。
でも同時に、
これから先を取り戻せるかもしれない、という希望もある。
人生の途中で、
「これが普通だったのかもしれない」
そう思える身体に、ようやく近づいている。