ゴーンの強欲よりも恐ろしい人権後進国・日本~推定無罪なき人質司法と改革責任に逃げる組織 | ユマケン's take

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デビュー作オンリー作家による政治・文化エッセイ。マスコミの盲点を突き、批判を中心にしながらも
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ゴーン・ショックから早10日が過ぎた。2018年の晩秋、日本の自動車メーカー最大手、日産の会長、カルロス・ゴーンが高額報酬の隠蔽や会社資金の私的流用などの疑惑で東京地検特捜部に緊急逮捕された。日本中のマスコミが大騒ぎし、TV新聞では“ゴーン・ショック!”という見出しが躍った。

 

 おそらく当初、それはカルロス・ゴーン個人、または日産自動車にとってショッキングな事件だという意味合いだったのだろう。

 だが、今やその衝撃は、日本という国全体に向けられている。後々振り返って見ても、ゴーン・ショックとは、日本が世界からガツンと殴られた事件だったということになるハズである。

 緊急逮捕から10日が過ぎた昨日、特捜部が裁判所にゴーン容疑者のさらなる拘留請求をした結果、さらに10日間の延長が決定された。そのショックはさらに日本の内部に浸透してゆくだろう。

 

 検察は当初、国際的なCEOを逮捕したことで、ヒーロー気分だったのかも知れない。だが、たった数日で賞賛の波から批判の矢面に立つことになった。狭い日本の内部事情だけで動いていると、こういう皮肉なコメディが起こるものだ。

 

 

 

 

 

 



 当初、この事件は日本にとって明るいニュースだったハズだ。タックスヘイブンなどを利用した税逃れ富裕層への法的な取り締まりは、いまや世界的な潮流となっている。

 なので僕も、ようやく格差是正に向けて日本も真剣に取り組むようになったのかなどと感心していた。さらに昨今導入された司法取引が逮捕の決め手になった事から、今後も続々と同様の逮捕者が出てきて、公平公正な社会への望みが膨らむのではないかとも思っていた。


 それが一気に暗転した。カルロス・ゴーン逮捕劇によって日本に新しい風が吹いたかと思いきや、一気に古い汚物が噴出してきた。

 

異様に強権化された検察が牛耳る

人権じゅうりんの司法制度

地位に居座り続ける日産幹部が明らかにした

日本特有の無責任体制

海外メディアからの真っ当な批判に対し

聞く耳すら持たない稚拙な人権意識。


 日本は今や、世界からの批判と嘲笑の的である。国際的なCEOが空港で突然逮捕され、起訴もされていないのに20日間も拘留され、その上、否認を続ければ起訴後も拘留が無期限に続く。さらには特捜部も日産も疑惑の証拠について開示を拒んでいる。

 

 また、そもそも逮捕容疑は有価証券報告書への記載違反だが、どう考えてもゴーン容疑者の違反はそれほど悪質なようには思えない

 

 有価証券報告書は主に株主に開示されるものであり、その良し悪しで特に大企業であれば莫大なカネが動く。なので粉飾決算のように企業を実態以上に良く見せかける記載違反であれば、多くの株主が多くのカネを失う恐れがあるために、その罪が重くなるのは分かる。

 が、ゴーン容疑者の場合、ただ自身の高額報酬を書いていなかっただけだ。しかもそれは退任後に受け取るつもりだったものだ。

 正式かどうかが法的な大きな争点になっているが、少なくともそれは現在ではまだ未払いの金額である。果たして、そんなものの記載ミスが多くの株主を大損させるリスクを生むものなのだろうか。

 

 有価証券報告書に退任後の高額報酬の記載もれがあることは、国際的なCEOが緊急逮捕されて20日間も拘留されることとまったく釣り合わない。明らかな過剰対応である。

 

 海外メディアの多くはそういう捉え方をしているハズである。アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルは、これは共産主義の中国で起こったことなのかと皮肉を飛ばした。数ヶ月前、中国ではインターポールの中国人総裁が母国に戻るなり秘密裏に逮捕され、世界中で話題になったものだ。日本はゴーンの逮捕劇で、世界中にそれとほぼ同様の恥をさらしたと言える。

 

 



 もちろん、カルロス・ゴーンの罪を擁護しているワケではない。検察の取調べで、彼は退職後に50億円近い報酬を自らが受け取れるよう裏で画策してきたことを認めた。

 法的な争点となっている有価証券報告書への報酬金額の記載義務を怠ったことについては、正式決定ではなかったからだと反論している。一方で、周囲にそれを隠していたのは、従業員の仕事に対するモチベーションが下がるためだとも説明した。

 

 つまりは反発を受けないよう、隠れてコソコソ強欲な企みを練っていたのである。日産はこの20年、経営再建に伴って数万人単位で従業員をクビにしてきた。それを指揮した会長が、秘密裏に退職後に50億ものカネを得ようとしているのである。

 

 そこには人間性のカケラもない。

 今、世界はマネーとマーケットの暴走に引っ張りまわされている状態だ。それには法律も倫理も人情も歯止めをかけられない。カルロス・ゴーンとはそんな狂気の時代の申し子である。



 だが、そんな悪魔でさえ霞むほどの濃い霧が日本を覆っている。ゴーン容疑者が今も拘留中の東京拘置所の独房写真にはゾっとさせられる。3畳1間、奥にある便座と洗面所には間仕切りはあるが顔までは隠れない。暖房は夜間のみで、ゴーン容疑者も最近になって「寒い」と抗議しているという。

 証拠隠滅の恐れという理由から家族でさえ面会はできない。さらに――いったいどういう理由からか――検察の取調べには弁護士もつけられない。拘留は最長で20日、起訴後に保釈が却下されれば拘留は無期限になる。そういった体制には、容疑者の人権への配慮がまったく感じられない。


 一方で、容疑を認めさえすれば、拘留期間は一気に短くなる。これが“人質司法”と呼ばれるゆえんである。検察は容疑への認否と拘留期間の因果関係を否定するだろう。だが、ファクトがそれを実証している。

 過去、容疑を否認した鈴木宗男衆院議員は437日も拘留された一方で、起訴前に認めた村上ファンドの村上世彰はわずか22日で釈放されている。これらは氷山の一角であり、無数の無名の容疑者をデータ化すればより明確な証拠になるだろう。

 

 

 


 検察は推定無罪(誰もが有罪判決を受けるまで無罪と推定されること)という民主国家における司法の大原則に背き、自らが絶対的な正義だと思いこんでいる。その結果、否認する容疑者は誰もが悪だと決めつけ、拘留期間を延ばすのである。そうして容疑者へ心身ともにプレッシャーをかけ続けることで、自らに有利な結果を得ようとしている。

 そういう体制が、罪のない人を罪人にする冤罪を構造的に引き起こし続けているのである。厚生労働省の元局長、村木厚子は無罪であったにも関わらず容疑を否認した結果、164日間も拘留された。これを人権じゅうりんと呼ばずして何と呼ぼう。


検察は戦時中に横暴の限りをつくした特高の流れを継いでいるとよく言われる。戦後、日本を占領したGHQは徹底的に民主化改革をしたらしいが、なぜもっと司法制度にメスを入れなかったのだろう。

 

 日米地位協定の中、アメリカ人犯罪者を日本側が裁けないのは、アメリカが横暴だからではない。その何よりもの理由は、日本の司法が容疑者の人権を無視したものだからだ。日本では、検察が司法を完全に支配している。検察による容疑者の拘留請求は裁判所によって95%が認められ(18年11月29日朝日新聞・朝刊)、検察が起訴した事件はその99.9%が裁判によって有罪・実刑判決が下される。

 



 

 

 また西川社長を始めとした日産幹部の無責任ぶりにもアキレはてる。ゴーン元会長の高額報酬の隠蔽工作や会社資金の私的流用などの疑惑について知っていたとすれば、彼らも共犯関係にある。

 

 逆に知らなかったとしても、トップの一大汚職が隠蔽されるほどに大きな欠陥のあるガバナンスを作っていたことになる。いずれにせよ抜本的な組織改革のために社長以下、幹部たちはすべて総辞職すべき事態だ。これはアメリカの一部メディアも指摘していたことである。

 

 だが、西川社長の口からは辞職の“じ”すら出てこず、ゴーンの汚職を見逃してきたことに対する反省の文句を自身の誠意ででもあるかのように語っているだけだ。そして自らがトップに立って日産を再建しようとしている。完全に狂っている。 これはモリカケ問題における安倍首相と同じやり口である。


 今年NHKで日本軍が支配していた旧満州国におけるノモンハン事件についてのドキュメンタリーがあり、大きな反響を呼んだ。そこでは、辻や服部を始めとした関東軍の現地幹部が中央を無視して完全にムダな戦争を引き起こし甚大な戦死者を出しながら、その責任を中央参謀や現場の軍人に押しつけるさまが描かれていた。

 ノモンハン後、彼らは一時期だけ降格したが間もなく日本軍の中枢に戻されたことで、再びムダな戦争で無数の戦死者が出ることになった。

 

 西川社長や安倍首相はノモンハンの上を行く。どちらの問題も重大不正の責任の大部分は2人にある。が、彼らは開き直ってそれを認めながら、トップの地位に居座り続けているのである。

 

いずれも重大不正を構造的に生み出す組織を

自らが主導的な立場で作っておきながら

不正が発覚してもまったく責任を取っていない。

それどころか

懲罰を避けるために、改正責任に逃げて

改革のヒーローになろうとしている。

 

 もちろん不正が重大であり、かつそこに根本的に関わっている人物には、相応の懲罰責任を取ることしか許されない。改正・改革責任とは、問題の当事者以外の実力者にしか許されないことである。

 モリカケの安倍首相も日産の西川社長も、共に他人になすりつけるよりも悪質な責任転嫁をしていると言える。ノモンハン事件以前から何百年と歴史的に続く、日本の無責任体制はここに極まったのではないだろうか。

 

 

 

 



 G20がブエノスアイレスで開催中だが、安倍首相は近々フランスのマクロン大統領とゴーン逮捕について話し合いをするという。

 ゴーン・ショックとは根本的には、国家間の権力闘争と言えるのではないか。自動車産業とは古くから一国の経済の原動力であり、国力とも直接結びついている。日産とルノーを通じて日仏が代理戦争をしているとも見れる事態だろう。


 ゴーン元会長は今後も一貫して容疑を否認し続けるだろう。その場合、通常であれば検察は起訴した後に裁判所とタッグを組んで保釈請求を受け入れず、延々と拘置所での拘留を続ける。

 が、日仏首脳会談で、マクロンは間違いなくゴーン拘留が長引けば何らかの懲罰を与えると暗に脅してくるだろう。日本はそういう外交的な駆け引きが恐ろしく出来ない。日産の主導権は握りたいが、さすがに国益を損なう事態にはなりたくない。そう考えて、検察に対しゴーン容疑者を早期釈放することを秘密裏に命じるのではないか。

 

 天下の検察も、時の政権にはドレイのように仕えている。最近でもそれが、財務省の改ざん事件で佐川元国税庁長官以下、10数人の容疑者に対し大阪地検特捜部が起訴さえしなかったことにも表れている。ちなみにその判断を下した特捜部のトップはその後、大出世したそうだ。


 今後、最も望むのは、ゴーン・ショックが検察ショックになることだ。保釈されたゴーン容疑者があの釣り上がった眉毛をさらに釣り上げながら大々的な反撃を始め、推定無罪なき人質司法の検察制度に大きなヒビを入れる。そうなれば世論もまた大いに味方するだろう。


 国際的なCEOの恐るべき私利私欲を見過ごすのは本意ではない。だが、それよりも遥かに大きく社会に悪影響を及ぼす日本の悪しき人権状況を正すためには、今はそこには目をつむるしかないだろう。■